「略奪美術品の行方」—ナチスの略奪からウクライナ侵攻まで—2026年8月5日 吉澤有介

福田直子著、集英社新書、2026年6月刊 著者は、ジャーナリストです。上智大学卒業後、ドイツ・エアランゲン大学で政治学・社会学を学びました。帰国後、新聞社、出版社に勤務。アメリカとドイツに通算40年近く住んで、テレビ番組のリサーチ、コーデネートを担当、新聞・雑誌などに投稿しています。
著書に「休むために働くドイツ人、働くために休む日本人」、「デジタル・ポピュリズム」、「観光コースでないワシントン」などがあります。
戦争は、容赦なく破壊や略奪の限りをつくします。著者は、数十年前に起きた「略奪美術品」が、今日でもなお「現在の問題」として、続いていることを丹念に追っています。
そこには日本人の関与もありました。1987年、安田火災海上保険(現、損保ジャパン)は、ゴッホの「ひまわり」を、購入しました。その価格は、当時の絵画史上最高の58奥円と伝えられています。同社の東郷青児美術館に展示され、多くの人々を引き付けてきました。
ところが2022年の暮れに、ある事件が起きました。「ひまわり」の元所有者から、先祖がナチスに強制的に売却させられたものだとして、アメリカの裁判所に返還訴訟が出されたのです。その祖先とは、銀行家でもあったあの有名なメンデルスゾーン家でした。それまで、絵画の経歴は、とくに問題とはされていなかったのに、あまりの高額に様子が変わったのです。判決は、「証拠不十分のため却下」となりましたが、その後の経過はわかりません。
この事件をきっかけに、ナチスによって略奪され、行方不明になった美術品の、返還訴訟が盛んになってきました。画家に憧れていたヒトラーが、美術品の収集を始めたのは、1920年ころのミュンヘン時代でした。やがて政権を掌握すると、共産主義者やユダヤ人の迫害と、美術品の略奪が始まりました。ナチスはミュンヘンに世界最大の「総統美術館」を計画し、ゲッペルス宣伝相がリストを作って、東欧を中心に数十万点の没収に当たりました。オランダ黄金時代の絵画が、とくに好まれ、ナチス幹部ではゲーリングが熱中していました。彼は、連合軍の反撃により敗色が明らかになっても、まだ美術館の建設を夢見ていたといいます。
ナチスは1940年、フランスを占領して、ユダヤ人を強制収容し、美術品を略奪しました。しかし、フランスには文化的劣等感があり、紳士的態度で収集に当たっています。これらの美術品は、4千個もの木箱でドイツに送られ、敗戦の中でドイツへの帰還が促進されました。
ミュンヘンでは、巨大な地下トンネルがつくられていたので、多くの略奪美術品がここに保管されました。ナチス・ドイツが降伏すると、ナチス幹部はみな逃走し、連合軍がやってくるまでの数時間の間に、何者かが侵入して、約7百点の美術品を再略奪しました。その行方は、ほとんど不明のままです。ナチスに協力した画商たちは、みな口を閉ざしています。多くは個人宅に隠され、スイスに渡ったものもありました。パリにあった「松方コレクシオン」も、マネの「嵐の海」が流失し、2019年に国立西洋美術館が、4,7奥円で買い戻しました。ドイツでも、フランケンの「山上の垂訓」が、不思議な運命を辿って現れています。
しかし、「血塗られた美術品」の、安住の地は遠いようです。各国の美術品返還が難航する中で、ウクライナへの侵攻で、略奪が行われており、今も続く深い問題でした。「了」

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