「海の地政学」—海軍提督が語る歴史と戦略— 2023年4月21日 吉澤有介

ジェイムズ・スタヴリデイス著、北川知子訳、早川書房2017年9月刊
著者は、アメリカ合衆国の海軍大将(退役)です。1976年に海軍兵学校を卒業し、海軍士官として35年以上を世界の海で過ごしました。2009年から4年間、海軍出身者では初のNATO欧州連合軍最高司令官を務めました。退役後は多くの著書で、タフツ大学の国際関係学専門の大学院フレッチャースクールから学位を授与され、学長になっています。
世界の海洋を長年支配してきたイギリス海軍は、海が互いに結ばれていることをよく理解していました。海は一つで、過去2000年に栄えた大国の多くが、シーパワーに強く影響されてきたのです。著者は歴史への深い洞察と、自身の豊富な経験から、海軍理論家マハンの唱えた海洋の地政学を超えて、国際社会に及ぼす影響を鮮やかに描き出しています。
太平洋は、任官して初めて航海した海でした。最新鋭巡洋艦でサンデイエゴ海軍基地を出港した記憶は鮮明です。広大な大洋に多くの島があり、そこに古代からの多様な文化があることは驚きでした。ヨーロッパ人として初めて太平洋を横断したマゼランや、島々を精査したキャプテン・クックに思いを寄せました。19世紀にはロシアが加わり、アメリカも蒸気船で参入します。日本はイギリスと地政学ではよく似ています。なぜ太平洋に出なかったのか。太平洋の広さで外敵が近寄らず、日本は大陸からの脅威に集中してきたのです。ペリーの来航をきっかけに、明治維新後、イギリスと同じ海軍国への道に進み、壮絶な大戦を経てアメリカの友好国になりましたが、太平洋のリスクは収まりませんでした。朝鮮戦争、ベトナム戦争と続き、いまや北朝鮮の暴挙に、南シナ海での中国の野望は予断を許しません。
大西洋は、文明の故郷である地中海とカリブ海を含めて、歴史に極めて重要な役割を果たしてきました。とくに⒕世紀の大航海時代の幕開け以来、大国の覇権争い、植民地の獲得で騒然とします。やがてアメリカの独立で、地政学は大きく揺れました。ドイツとの大戦はアメリカの参戦で流れが変わり、大西洋共同体の意識が生まれましたが、冷戦時代にはカリブ海での緊張が続き、21世紀にようやく落ち着きます。しかし黒海は再び荒れてきました。
インド洋は長い間、主に交易の海でした。季節風による東西文明交流の舞台だったのです。それが、かってペルシャ湾と呼ばれたアラビア湾の湾岸に、莫大な石油や天然ガスが発見されて、様相が一変しました。イスラム教の宗派も絡み、政治的対立が激化し、ホルムズ海峡の狭い入口が待ち構えています。インド洋の東の入口、マラッカ海峡と、南シナ海とともに、地政学上の最重要地域になっているのです。世界の交易路は、アメリカなど大国の海軍力に守られています。これらの大洋を結ぶ、スエズ運河とパナマ運河の役割は絶大でした。
北極海は、これまで戦いのなかった唯一の海でした。それが現在さまざまな対立に揺れています。莫大な地下資源と環境保護、温暖化による航路の開拓など、大きな可能性と、新たな冷戦につながるリスクがあるのです。ロシアとNATOの関係が未来を左右するでしょう。
世界の海では、海賊対策が大きな課題です。インターネットの情報も、海底ケーブルに大きく依存しています。多様な問題を抱える海の地政学を唱えたマハンは、シーパワーを構築する国家の役割を論じましたが、その系譜を継いだ著者の海洋戦略論は刺激的でした。「了」

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