「民族とナショナリズム」  2026年6月5日 吉澤有介

アーネスト・ゲルナー著、加藤 節監訳、亀嶋庸一・西崎文子・室井俊道訳 岩波文庫、2026年4月刊   本書は、は多彩な経歴を持つ、イギリスの知的巨人による。第一級の「ナショナリズム研究署」です。多様な側面を持つナショナリズムを、哲学、政治経済学、思想史、社会人類学、などの広範な学問領域にわたって縦横に論じて、1983年に出版されました。その英語販は39刷を重ね、24か国に翻訳されています。日本語の翻訳は、成蹊大学アジア太平洋研究センター内に組織された、研究プロジェクト「西欧と非西欧」の一部として行われました。門外漢には、とうてい要約できるものではありませんが、雰囲気だけをお伝えしましょうか。
著者ゲルナーは1925年、ドイツ系ユダヤ人家族でパリに生まれ、すぐに新生国家チェコスロヴァキアに移住して、プラハで育ちました。プラハが1939年、ナチス・ドイツに占領されると、家族とともにイギリスに移住します。戦争末期には、チエコスロヴァキア機甲旅団で従軍しました。1946年にイギリスに戻り、オクスフォード大学で。「哲学・政治学・経済学」を学び。社会人類学で博士。ロンドン大学、エジンバラ大学講師を経て、1962年に、ロンドン大学哲学教授。さらにロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの教授となり、「社会学に特に関連する哲学」を講じました。「言葉と物」など、多くの著書があります。
ゲルナーは、ナショナリズムを定義するには、まず国家と民族の定義によるとしました。国家とは、秩序維持を専門として集中的にかかわる制度です。すべての社会に国家があるわけではありません。ナショナリズムの問題は、国家のない社会には起こらないのです。もし国家がなく、支配する者がいなければ、お互いに同じ民族であるかと問うこともできません。
ナショナリズムは、国家の存在が当然とされる環境の中でのみ現れるのです。人類の歴史で、狩猟・採集社会が、農耕社会になると、はじめて国家をつくるものが出てきました。その形態は多様で、あるものは強く、あるものは専制的でした。それが産業社会になると、分業と協働がより複雑で巨大になり、国家は必須のものとなったのです。しかし、どの国家でもナショナリズムが起きるというわけではありません。そこには民族の問題がありました。
民族とは、人がお互いに同じ民族だと認知したときにのみ、生まれます。つまり民族とは、人間が作る文化と意思による人工物でした。ある領域の住民で、言語が共通だったりして、彼らが互いにある相互的な権利と義務を強く意識したとき、民族となるのです。お互いが仲間であるという認知であって、他の人々から区別するような、属性はありませんでした。
ここでゲルナーは、民族がナショナリズムを生み出すのではなく、ナショナリズムが民族を生み出すとしました。民族が国家をつくったのではなく、近代社会の要請によって、国家が生まれ、そこに民族意識が形成されたのです。ナショナリズムは、政治的単位の国家と、民族的単位が一致すべきという政治的要求であって、単なる感情ではありませんでした。
ゲルナーは、これまでの近代性の中心的特徴が資本主義であり、アイデンテテイと対立を生み出す主要因が、階級であるというマルクス主義の見解を拒絶しました。ナショナリズムという観念は、近代性の産物であって、近代性を生み出すものではなかったのです。「了」

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