世界が驚愕した「江戸の医学」—現代医学の基礎を築いた江戸の医療革命—2026年6月2日 吉澤有介

斎藤勝裕著、C&R研究所、2026年4月刊  著者は、1945年生まれ、東北大学大学院理学研究科修了、理学博士。現在は名古屋工業大学名誉教授。愛知学院大学、金城学院大学、中部大学なども兼務しています。専門分野は、有機化学、物理化学、光化学、超分子化学。主な著書は、「絶対わかる化学シリーズ」全18冊(講談社)、「わかる*わかった」化学シリーズ(オーム社)など多数があります。
江戸時代前期の医学は、中国から伝わった漢方医学が主流でした。それ以外は、民間で身の回りの薬草を用いたり、加持祈祷に頼ったりしていました。しかし、日本の医師たちは、曲直瀬道三などが独自の工夫を重ね、鍼灸なども取り入れて独特の進化を遂げていました。
やがて宣教師たちによって、ヨーロッパの医学が伝わってきました。織田信長は積極的に導入したといいますが、一般には普及しないまま江戸時代となり、徳川幕府の「鎖国」政策がはじまりました。しかし医学においては、西洋医学である蘭学が盛んになります。伝統的な漢方医学に蘭学を取り入れて、東アジアでは最も先端的な医学を発展させたのです。
江戸時代の平均寿命は短く、30~40歳とみられますが、これは0歳児の平均余命で、当時の乳幼児の死亡率が著しく高かったためでした。10歳まで生きた場合の平均余命は、男性は52,4歳、女性は50,6歳とする研究もあります。江戸時代中期は世界的寒冷期で、人口はほぼ横ばいとなり、全国で2500~2700万人で推移しています。この時期には、たびたびの飢饉の他に、天然痘、麻疹、コレラ、インフレンザなど、様々な疫病が流行しました。
しかし江戸時代では、庶民に寺子屋が普及し、読み書きに算盤まで教えていました。高度な論理的思考が養われ、和算が生まれました。識字率も、武士ではほぼ100%、江戸の町民は80%を超えて、出版文化も普及しています。中国伝来の本草学も、実証的な研究が進み、独自の発展を遂げていました。西洋医学受け入れの下地は十分に備わっていたのです。
当時は、まだ人体解剖は禁忌でしたが、漢方医で幕府の医師でもあった山脇東洋は、まずカワウソを解剖して人体解剖を熱望しました。京都所司代の許可を取り付けて、初めて死刑囚の腑分けを観察し1759年に解剖図鑑「臓志」(二巻)を刊行しました。衝撃を受けた杉田玄白、前野良沢らは、長崎で入手した「ターヘル・アナトミア」の翻訳に取り組み、1774年ついに「解体新書」全五巻)の刊行を成し遂げたのです。蘭学による医療革命事始めでした。
その影響はまことに甚大で、日本人の「人体観」を変換して蘭方医が誕生し、診断、治療、知識、教育、公衆衛生が、大きく進展しました。来日したオランダ商館医、シーボルトの貢献も大きなものでした。「鳴滝塾」を開いて多くの日本人医師を育成しました。教育内容は、種痘法、解剖学、薬学、植物学など幅広く、主な門下生に高野長英、伊東玄朴がいました。
1838年には大阪で、蘭学者の緒方洪庵が「適塾」を開きました。西洋医学、特に種痘の普及が目的でしたが、単なる教育機関ではなく、俊才たちが自主的に学んで切磋琢磨し、多くの有為な人材を輩出しました。日本の科学や工学の発展に、大きな影響を与えました。
1804年、外科医華岡青洲の、世界初の全身麻酔成功もありました。松本良順の「長崎養生所」は、近代医学教育のモデルとなり、江戸医学の完全近代化が確立していったのです。「了」

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