「日本列島四万年のデイープヒストリー」-先史考古学からみた現代- 森先一貴著、朝日新聞出版、2021年8月刊 2022年6月8日 吉澤有介

 著者は、1979年京都府生まれで、東京大学大学院を修了した奈良文化財研究所主任研究員です。亜鉛門は先史考古学(旧石器時代・縄文時代)で、多くの著書があります。
日本列島には、約4万年前に、原生人類(ホモ・サピエンス)が大陸から海を渡ってやってきました。日本列島最古の遺跡は、熊本市石の本遺跡群の8区と、静岡県沼津市の井出丸山遺跡です。出土した炭化物の年代測定で、3,9 ~3,7万年前とわかりました。中国北部や朝鮮半島などの同時期の遺跡に、共通な形状の鋸歯縁石器も出土して、文化的なつながりがあることを暗示しています。日本旧石器学会の集計では、旧石器時代全期間の遺跡の数は、東北から九州まで約1万箇所で、北海道にはほとんどありません。琉球列島では、遺跡に人骨はあるものの、本州のような石器がなく、両者には文化的な違いがありました。どちらも移動生活を営む、15~75人規模の狩猟採集民であったと考えられています。
列島は、北東から南西に長く伸びて、山や川で複雑に分断されているので、気候も多様です。そのため石器の種類や形状は、地域や時期によって異なっていました。しかし、歴史や文化はそれぞれに長く続いて現代に至っています。これは広大で一様な大陸とは対照的な特徴でした。大陸では、境界もあいまいで、人や文化も歴史も激しく入り乱れていました。
これは西欧を中心とした考古学の歴史観に大きく影響していました。旧石器時代→新石器時代→青銅器時代→鉄器時代の時代区分と、農耕や牧畜の開始の思考にも出ています。
ところが、日本での発見は、この文化変遷観を大きく覆すものだったのです。多くの「磨製石斧」が旧石器時代の遺跡から発見されました。欧州では新石器時代からです。土器では、青森県大平山元Ⅰ遺跡で、16500万年前までさかのぼる土器が出土して、世界を驚かせました。列島の各地で同時期のものが発見されています。豊かな森林の利用に、早くから道具を発達させたのでしょう。弓矢猟もこのころ生まれています。定住も早かったらしいのです。
 東京都あきる野市の前田耕地遺跡では、16000年前の縄文草創期から江戸時代までの遺構が確認されました。そこには最古の土器だけでなく、石器製作跡があって50万点もの石器が出たのです。サケ科魚類の歯や骨、クマやシカの骨も多量に出て、人々の生活様式を生き生きと伝えてくれました。これらの日本の先史文化の起源はどこなのでしょうか。著者は大陸の各地を実地に調査して、大陸文化の影響はなかったことを確かめています。
 日本列島の文化は多様でした。3万年前の瀬戸内で、サヌカイト と呼ばれる良質の安山岩を剥がして加工する、特殊な技法が開発されました。その技法と石器が、日本海側では山形県、西は九州国西部、東は東海西部に伝わっていました。人が集団で移住したのです。地域を超えた社会のネットワークが生まれていました。縄文時代には、さらに広範囲に及ぶようになります。黒曜石やヒスイ、アスファルトなどが各地に運ばれていました。人と人との情緒的なつながりも生まれたことでしょう。人々は集団をつくり、他集団ともつながってきました。その原理は、現代とも共通しています。先史時代と現代の比較は、長期に持続するような人と社会と環境の関係を考える、またとないヒントを与えてくれるのです。「了」

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