「ヒルコ」—捨てられた謎の神—2024年2月20日 吉澤有介

戸矢 学著、河出文庫、2024年1月刊       2024年2月20日 吉澤有介
著者は1953年、埼玉県生まれ、国学院大学文学部神道学科卒。専門は、神道、陰陽道、地理風水、古代史研究で、著書には「オオクニヌシ」、「アマテラスの二つの墓」、「スサノヲの正体」、「サルタヒコのゆくえ」(以上、河出書房新社)など多数があります。
天皇家には苗字がありませんが、実は「姫(キ)」氏だという説があります。平安時代の書物にありました。姫とは中国の周王朝(BC1046建国)の姓です。周はBC256年に秦に滅ぼされましたが、王族はその後も存続しています。日本最古の紀伊国造は紀氏です。「ヤマトが姫国」だとは、日本の使節が自ら述べた記録が、中国の史料に残っています。紀氏は紀元前から「海人族」として、中国江南とも交流がありました。謎が深まります。
著者はその手がかりとして、日本神話の「ヒルコ」に注目しました。「記紀」によれば、イザナギ・イザナミの最初の子で、生後すぐに葦船に乗せて海に棄てられました。アマテラスの兄妹なのに、その後の消息は一切不明です。何らかの史実を表象化したのではないか。この話は「先代旧事本紀」にもありました。おそらく、こちらが本家でしょう。
ヒルコは蛭子と貶められましたが、実は竜神に拾われたという根強い信仰がありました。日本神話に排除されても、海人族「海部氏」の氏神として復活したのです。
著者は、ここで大胆な仮説を立てました。ヒルコはアマテラス(ヒルメ)と双子だった。日本古来の習俗では、双子は不吉として、片方を棄てて厄払いします。これで様々な謎が解けました。天孫族は、江南の呉国が故郷で、そこから渡来したのではないか。呉国は、周王朝の太伯が始祖王でした。また周から封じられて「陳」が建国していましたが、これも呉とほぼ同時期に滅亡しています。陳大王の娘がオオヒルメでした。日本人の祖先が、呉の太伯の末裔であるという説は、古い中国の史書にも登場していました。また鹿児島神宮には同様の伝承があり、大隅に漂着したヒルメの子が八幡とされています。記紀の編纂者は、当時知られていたこの事情を、神話に書き換えて意図的に隠したのでしょう。
一方のヒルコは、北周りの海路をとり、出雲の須賀に着きました。その須賀の王はスサノヲと呼ばれ、いまも須賀神社に祀られています。息子の五十猛神は、熊野に向かいました。スサノヲの系譜を継いだオオクニヌシは国つ神でしたが、天つ神に国譲りします。実は戦いに敗れて殺され、その怨霊を鎮めるために、巨大な出雲大社がつくられました。大社の構造がそのことを示唆しています。丁重に祀られたとしながら、出雲風土記は、国譲りも出雲神話も一切記していません。記紀の神話を、あくまでも拒否しているのです。
ところが日本神話では、また突然に出現する神が出てきます。天磐船で降臨するニギハヤヒです。記紀には殆ど説明がありません。しかし、物部氏の「先代旧事本紀」は詳しい。ここにも謎が秘められていました。突然渡来した神なら、これは「徐福」でしょう。徐福伝説は、日本各地にあります。良家の男女3千人、各分野の技術者、五穀の種子は記録も確かで、日本のどこかに着いたはずです。ヒルコかニギハヤヒかは別にしても、圧倒的な規模での渡来でした。記紀は、なぜ隠したのか。著者の仮説は壮大でした。「了」

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