「日本の分水嶺」堀 公俊著、2022年9月3日 吉澤有介

—-地図で旅する列島縦断6000キロ– 
山と渓谷社、2000年9月刊
著者は、1960年神戸市生まれで、大阪大学大学院工学研究科を修了したIT技術者です。登山やキャンプ、旅行に親しみ、「日本の自然を守る会」や、地方自治体のビジョンづくりなどの活動をしながら、「分水嶺ハンター」として日本全国の分水嶺を歩いてきました。

日本列島に降る雨粒は、ある場所で一方では太平洋へ、また他の一方では日本海に流れ、お互いにめぐり会うことなく、それぞれの海に注いでいます。その境界が分水界で、それが山や尾根にある場合は「分水嶺」と呼ばれています。この境界線を、日本列島の北から南へ結んだ一本の線が、「大分水嶺(界)」として、日本列島の背骨になっているのです。

分水嶺の多くは、古くから国境として地域社会の生活圏を分断してきました。分水嶺を越える交流は、街道の峠として歴史を刻み、碓氷峠や、野麦峠などの名所・旧跡になっています。ところがその多彩な魅力を持つ分水嶺は、意外にも殆ど知られていません。地図にも特別な記号で表示していないので、これは川の流れを追いながら、自分で探すしか手はないのです。本書では、全長6000キロにも及ぶ大分水嶺を、遊び心一杯で楽しく辿っています。

まず北海道ですが、北端の宗谷美咲から南西端の白神岬まで、途中の石狩岳がオホーツク海と太平洋と日本海の分水嶺になっています。東に向かうと、トムラウシ、十勝岳を経て千歳空港が海抜20mの分水界になっていました。本州では、奥羽山脈の県境が続き、福島県で吾妻、安達太良から猪苗代湖の東を通りますが、その間に多くの峠や温泉があります。那須連峰から帝釈山、尾瀬の至仏、上越国境に続き、小説「雪国」の景観になります。野反湖でやや県境がずれますが、上信県境を辿って甲武信岳の奥秩父に続き、八ヶ岳から塩尻峠で木曽路に入ると、木曽駒ケ岳に深く食い込み、善知鳥(うとう)峠から野麦峠、乗鞍岳という本州最奥の分水嶺になっています。これらのトレイルを辿るのも一興でしょう。飛騨の越美国境はややこしい。まさに地図の読みどころで、泉鏡花の「夜叉ガ池」も登場します。

積雪量11,8 mの記録(1927年)を持つ伊吹山から、琵琶湖北面にかけての分水嶺は、歴史とロマンに溢れていました。琵琶湖の水面は標高92m、北面の深沢峠は300mで、日本海と結ぶ運河開削計画が出たことがあります。兵庫県の中国山地でも、氷上盆地が標高95mの分水界で、由良川は日本海へ、加古川は瀬戸内海へ流れています。ここは本州で最も低い分水界で、古代には鉄の道、その後も交易路として栄えました。町に記念館があります。

分水嶺は、氷ノ山から鳥取・岡山県境を伝って、ウラン鉱山で知られた人形峠に至ります。稜線はさらに犬鋏峠を越えて蒜山へと続きますが、中国一の大山(1729m)には立ち寄らずに道後山に出ます。このあたりはたたら製鉄で、かなり地形が変わりました。その先は大河「江の川」を大きく迂回して、帝釈峡のある吉備高原に進み、やがて山口県に入ります。ところが秋吉台のカルスト台地で、地下水の流れが読めず、分水嶺が消えていました。

九州中央山地は、落人たちの安住の地でした。大分水嶺は、霧島から高隅山を経て、佐多岬で南海に沈んでゆきます。日本列島大分水嶺6000キロの旅の終わりでした。大分水嶺はもっと注目されて良いでしょう。多彩な日本の風土が凝縮されているからです。「了」

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