「民族世界地図」浅井信雄著 2021年6月12日 吉澤有介

新潮文庫、平成9年6月刊

著者は、1935年長岡市に生まれて東京外語大学を卒業し、読売新聞の海外特派員となりました。ジャカルタ、ニューデリー、カイロなどに駐在し、ワシントン支局長を経て退職。国際政治学者として東大、東京外語大、神戸外語大などで講師、教授を歴任しました。「中東を読むキーワード」、「アメリカ50州を読む地図」などの好著があります。

日本人ほど民族問題に鈍感な民族はいないそうです。世界のあちこちで、様々な国際紛争が起きていますが、その原因の殆どが民族紛争に由来しています。ところがいざ民族とは何かというと、これがなかなか難問で、決定的な定義はいまだに確立していません。一般に民族集団に必要な要素として、言語、宗教、血縁、文化などが挙げられますが、それらのすべてが同じという例は殆どないでしょう。言語は方言化し、宗教はもちろん文化も変化して、一番確かな血縁でさえ混血でわからなくなっています。集団における民族意識は、「他」との「違い」を認識して、はじめて芽生えてくるもので、「同じ」という実感があれば、それは気心の知れた同族となり、あいまいでありながら主観的な太い絆が生まれるのです。

ところが例外的に、民族の厳しい定義を迫られた事態が生じました。イスラエルの建国です。「ユダヤ国家」として、世界中からユダヤ人を招くために、資格の認定が必要になったのです。しかし自己申告の、母がユダヤ人か、正統のユダヤ教かの確認に紛糾しました。

本書では、民族の様々な側面を論じています。いくつか事例を取り上げてみましょう。

「トルコ族」の源流は、BC3世紀ころバイカル湖の南にいたチュルクという民族でした。6世紀に中央アジアで遊牧民の帝国をつくると、その中のウィグル族が新興のイスラム教で先住民族を取り込み、10世紀には中央アジア一帯をトルコ族の土地トルキスタンとして定住します。その後南西に進んでオスマントルコ帝国を建て、西欧諸国を大きく脅かしました。現在その大きな集団は、新彊ウィグル自治区、カザフスタン、ウズベキスタン、アゼルバイジャン、中東のトルコ共和国などで、騎馬遊牧民の血を色濃く受け継いでいます。トルコの現政権はイスラム原理主義で、EU加盟を目指しますが、民衆はイスラム諸国に心情を寄せています。ソ連崩壊後、アジアと欧州をまたぐその役割が注目されているところです。

一方、トルコは非アラブのイスラム「クルド人」に対しては強硬です。クルドはかって十字軍を撃退した歴史がありながら、西欧列強の引いた国境に分断されました。イラク、イラン、トルコなど五カ国に分散して、それぞれ自治拡大を主張していますが、難民として山岳地帯に追われ、悲劇の民族となっています。統一国家の建設展望はまだ遠いことでしょう。

スラブ族は人口2億5500万の欧州最大の民族で、スラブ系の言語が共通しています。2世紀から中世にかけて、ゲルマン人やマジャール族などの侵入を受けて住民は離散し、7世紀以降ようやく各地にスラブ国家が形成されました。しかしその間には、異民族の奴隷になったものも多く、そのためにスラブが英語で奴隷(slave)を指すことになったのです。

現在、どの国も複数の民族を抱えており、日本も例外ではありません。英語では、民族も国家もネイションなので、日本人の理解は混乱するばかりです。ややこしいですね。「了」

カテゴリー: サロンの話題 パーマリンク