「大恐慌のアメリカ」林 敏彦著 2020年4月29日 吉澤有介

岩波新書、1988年9月刊
著者は、京都大学経済学部卒、大阪大学大学院を経て、スタンフォード大学でPh.Dを取得した理論経済学者で、本書を上梓したときは大阪大学教授でした。現在は名誉教授です。

1929年10月24日(木)、それまで急騰を続けていたニューヨークの株価が、突然15~20%も大暴落しました。大恐慌の始まりです。パニックの大津波で立会場は修羅場と化し、情報を求めた群衆が押しかけました。特別警備隊が出動し、取引場を一時閉鎖しました。10時45分に緊急連邦準備委員会、12時には大物の銀行家たちが集まり、市場を買い支えてようやく落ち着いたものの、29日(火)には、株価がさらに壊滅的に崩落したのです。

しかしそれもまだ序章に過ぎませんでした。30年夏からは銀行危機が加わり、31年からは国際通貨危機が重なって、実体経済は最悪の状態になりました。32年のGNPは、29年のピークの半分まで落ち込んで、株式時価総額は何と82%も消滅したのです。当時の人々の生々しい証言は、目を覆うばかりでした。その傷跡は深く、アメリカの株価が29年のピークまで回復したのは、実に第2次世界大戦が終わって6年後の1951年のことでした。

20年代のアメリカは、19年に終わった第1次世界大戦を機に、経済力でそれまでの盟主イギリスを超え、金融界でも世界最大の資本輸出国になりました。新興工業国アメリカは移民を引き寄せ、労働生産性を高めて企業利潤を上げ、世界の金準備の40%を集めたのです。理想主義者の大統領ウィルソンは、国際連盟の創設を提唱し、国際社会へのアメリカの役割を果たすことに強い意欲を持っていましたが、議会はその負担を嫌い、猛烈に反対しました。ウィルソンはその説得に奔走して疲れ、ついに倒れました。歴史がここで変わったのです。

多くのアメリカ人にとっては、もはや大統領は誰でもよかった。無能だったハーデングに次いで24年に勝利したクーリッジは繁栄の時代を率いて、アメリカの本業はビジネスであると宣言しました。実業家たちも社会の尊敬を受けて高賃金で雇用を安定させ、政府は減税で国民の生活水準を高めました。禁酒法は緩み、家電や車が普及し、中産階級も大衆も株式市場に熱狂しました。唯一アメリカ人に理想を思い起こさせたのは、リンドバークの大西洋無着陸飛行の成功でした。彼の若さ、沈着さ、謙虚さ、科学知識、勇気に挙って心酔しました。しかしアメリカはもう引き返せなくなっていたのです。酒とジャズの時代が続きました。

一方、基幹産業の農業は、この繁栄から取り残されたままでした。石炭、造船、鉄道も過剰設備に苦しみ、耐久消費財の在庫も急増していました。異変は起こりつつあったのです。

アメリカが、国際社会に果たすべき役割をためらった、その報いが姿を現し始めました。

アイオワ州の寒村に生まれたフーバーは、鉱山技師を志して新設されたスタンフォード大学に進み、世界の鉱山を股にかけて成功しました。滞英中に大戦に遭い、在留アメリカ人を救って尊敬され、商務長官を経て大統領に就任します。多くの課題に挑戦しましたが、7か月後に大暴落が起こったのです。彼の精力的な行動は裏目に出ました。関税引き上げ、金融引き締めは、国際通貨制度を崩壊させ、均衡予算にこだわって不況は一層深刻化して暴動が起き、「豊富の中の欠乏」で人心が荒みます。ルーズベルト登場前夜のことでした。「了」

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