「ライト兄弟」デビッド・マカルー著、秋山勝訳 2019年11月4日 吉澤有介 

イノベーション・マインドの力      草思社2017年5月刊

著者は、ピッツバーグ生まれ、イエール大学出身の作家で、ピュリッツァーを受賞しています。本書は、2015年のニューヨークタイムズ・ベストセラーの第一位となりました。

1903年12月17日、ノースカロライナ州キテイホークの近郊で、ウィルバーとオーヴィルの兄弟は、12馬力のエンジンを搭載して、世界で初めての有人動力飛行に成功しました。本書では、この革新技術を実現させた兄弟の苦闘と、家族の愛情に支えられた足跡を、膨大な資料によって、克明に展開しています。その実像は驚くべきものでした。

オハイオ州のデイトンの実家で、兄弟は巡回牧師の父と妹のキャサリンの4人で暮らしていました。母親のスーザンは、馬車製造業のドイツ人の家庭に生まれた、愛情深く聡明な女性でしたが、結核で亡くなりました。兄弟の機械いじりの才能は、母親からきています。

父は開拓時代の丸太小屋で生まれ、献身的で揺るぎのない意志を持ち、礼儀正しく、生活態度は謹厳で、子供たちに良い指針を示していました。その資質は兄弟に引き継がれています。兄は、高校で成績抜群、スポーツ万能で大学を目指しましたが、不慮のケガで挫折し、高校生だった弟の始めた印刷業で新聞を発行します。次いで当時流行していた自転車にはまり、小さな自転車店を開業しました。販売と修理で事業は大きく成功します。大空への夢が膨らんできました。そこでリリエンタールが墜落死したという悲報を聞いたのです。兄は決心して、ロンドンのスミソニアン協会に手紙を出し、これまでの航空学の資料を入手しました。

この1890年代は、世界で航空学がブームになっていました。兄弟は熱心に研究を開始します。学歴も経験もなかったのに、正攻法で挑んだのです。まず複葉式のグライダーをつくって、揚力と翼の撓みとバランスの制御を把握し、飛行実験する場所を探して、ノースカロライナ州のキテイホークを選びました。適度の風と砂丘があったからです。現地で格納庫を建てて泊まり込み、機体を細かく調整しました。嵐や蚊の襲撃、寒さにも耐えて実験を繰り返し、そのすべてを写真に記録しました。1901年、兄の乗ったグライダーは、風速5,8 mの中で90mを飛び 、その報告は航空学の当時の第一人者シャヌートを驚かせました。

兄弟は、さらに揚力と抗力を正確に計算するため、独自の風洞を開発して実験を重ねます。およそ3か月の間に38種の翼面を計測しました。その科学的な手法に、シャヌートも感動して支援者となり、資金援助を申し出ましたが、兄弟は断ります。飛行距離は180mまで伸び、滑空や着地、旋回も確実にこなせるようになっていました。あとは原動機だけです。

全米の自動車エンジンメーカーに問い合わせても、軽量のものはありません。ここで自転車修理工のテイラーが活躍します。すべて自前で設計し、アルミ鋳物を削りました。プロペラの開発には兄弟も苦闘します。3層のトウヒを張り合わせました。こうして二つのプロペラを持つ「フライヤー号」が誕生しました、1903年3月、舵翼について特許を申請します。

12月17日10時35分、弟が36m、次いで兄が260m(飛行時間59秒)を飛びました。

立会ったのは他に5人だけで、妹に宛てた電報は、新聞社から世界を駆け回りました。数日前に、政府が後援したスミソニアン協会の、公開飛行が失敗した直後のことでした。「了」

カテゴリー: サロンの話題 パーマリンク