「匂いが命を決める」—ヒト・昆虫・動植物を誘う嗅覚–-2026年4月12日 吉澤有介

ビル・S・ハンソン著、大沢章子訳、亜紀書房、2023年9月刊 著者は、1959年、スウェーデン生まれの神経行動学者。ルンド大学で博士(生物学)、教授、スウェーデン農業科学大学教授を経て、ドイツのマックス・プランク化学生態学研究所所長。10年よりフリードリッヒシラー大学名誉教授。昆虫と植物の相互作用についての神経行動学的研究、とくに昆虫の嗅覚の研究で名高い。訳者は大阪大学人間科学部卒の翻訳家。
すべての生物は、植物や昆虫から人に至るまで「生命維持」と「種族繁栄」には、嗅覚が大きな役割を果たしています。人は特別に視覚的な動物なので、嗅覚をつい忘れています。しかし、誰もが無意識に、幼少期以来の経験を、懐かしい匂いで記憶しているのです。
匂いは化学的情報です。匂い分子が人の鼻の中の神経によって検知されると、その化学信号は脳の特別な部位に届いて、情報は神経組織の糸球体に集約されます。糸球体は、それぞれ特殊なタイプの嗅覚受容体を持つ嗅細胞からの情報を受け取ると、さらに上位の神経細胞によって解読され、海馬などに送られて、脳はその匂いの意味を、正しく認識するのです。
この嗅覚は、2020年の新型コロナで突然消失したことで、あらためて注目されることになりました。嗅覚の基本構造は、植物を除けば、ほぼすべての生物に共通しているのです。
犬の嗅覚の鋭さはよく知られています。犬の鼻の内部は、匂いを評価するのに理想的な構造になっています。嗅細胞は人の300倍もあり、検知能力は1万倍にも達して、微小な匂いを捉えて識別します。多くの現場で人の役に立ち、医療分野でも活躍が期待されています。
鳥にも嗅覚がありました。視覚だけという常識が崩れ、アホウドリには大きな嗅球があり、海面のプランクトンの放出するジメチルサルファイドのガスを捉えていました。そこに好物のオキアミが集まってくるのです。進路を知る手がかりにもなっていました。ペンギンでも、実験で確かめられています。近年のプラスチック廃棄物の匂いが、心配されています。
魚の嗅覚も特別で、サケは、降海時に生まれた川の独特の匂いを記憶し、刷り込みしています。鼻腔には100万個の嗅細胞が詰まっていました。サメも毎年数千キロも回遊して、生まれた場所に帰ります。脳の2/3が嗅覚器官で占められ、500m先の獲物を検知しています。
ネズミは嗅覚がすべてでした。蛾のオスは、はるか彼方のメスのフェロモンを捉えます。
ファーブル以来、おおくの実験が行われました。ハエの嗅覚系も、研究者の良い対象になっています。蚊は、人間にとっての最大の殺し屋で、いまでも年間40万人が死亡しています。二酸化炭素を検知し、血の匂いを捉えるのです。キクイムシは嗅覚を利用する、巨木キラーです。防御機能の弱った木を標的にして、匂いを発する菌類との共同作業で攻撃します。
植物もまた匂いを検知し、昆虫を引き寄せ、食害が迫れば仲間に知らせて対応します。東京大学のチームは、匂いが植物の生存戦略を活性化していることを明らかにしました。
自然界の匂いは、近年大きく変わってきています。人間活動のためでした。いわゆる人新世です。二酸化炭素やオゾンは、匂いに破壊的な影響を与えています。蚊が増え、昆虫が激減しました。海の匂いも変化しています。匂いの生態環境への影響に注目しましょう。

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