へたれ人類学者、砂漠をゆく—僕はゆらいで少しだけ自由になった–2026年3月18日 吉澤有介

小西公大著、大和書房、2024年12月刊   著者は、1975年千葉県生まれ、東京学芸大学・多文化共生教育コース准教授。専門は社会人類学、南アジア地域研究、インドや日本の芸能、音楽のもつ力を通じた社会空間の創造に関する研究を進めています。変人であることをモットーに変人類学研究所を立ち上げました。XR時代の人類の知覚・認識と可能性を模索する拡張人類学研究所のメンバーでもあります。著書に「燃える人類学者」(東京外国語大学出版会)などがあります。
「へたれ」とは、著者自身の、じっとしていられない性格、もの忘れが多く、人の気持が読み取れない、大事な局面ほど失態するなど、子供のころからある要因のことです。そんな著者が「人類学者」として、インドでさまざまな経験をします。はじまりは、大学で社会人類学に興味を持ち、入学早々にその研究室の飲み会に参加すると、教授から、人類学をやるならまず異質な世界に飛び込んで、存分に味わって自分を壊せ、と諭されたことでした。
それならと、一年目の夏休みに海外に飛び出すことにしました。行く先は、民俗学者だった父と、一度訪れたことのあるインドに決めました。異質さが心に残っていたからです。初の海外一人旅は失敗の連続でしたが、機内では、隣のインド人と親しくなりました。現地の空港に降り立つと、高温高湿度の中で、たちまち客引きに囲まれて動けません。機内で知り合ったインド人の迎えの車に乗せてもらい、ようやくホテルに辿り着きました。翌朝のホテルの外は、物乞いの押し寄せる喧騒の世界で、著者は怖くて引きこもりになってしまいます。
三日目にようやく外に出ると、質問責めに会い、バラモンに騙されたりしながら、次第にインド人との話し方、歩き方がわかってきました。胸を張って堂々と歩くことだったのです。
西部インドのアフマダーバードから北上して、美しい湖の街ウダイブルを経て、北西の端のパキスタンに近い砂漠の街、ジャイサルメールに流れ着きました。暑さの続くこの旅で学んだことは、ボーとする「ヒマ」の時間が、最も思索と発想を豊かにすることでした。
もう帰りたい気持で一杯でしたが、街を歩いていると、一人の青年が、壁に向かって泣いていました。聡明な顔立ちで、白いクルターに伝統的な靴を履いています。話かけてみると、彼はこの地で旅行代理店を開業したが、同業者や家主にひどい仕打ちを受けたといいます。少数民族(トライブ)であるためでした。もとは王族の親衛隊でしたが、今は砂漠にひっそりと暮らして、タール砂漠観光の、10日間キャメル・ツアーのガイドをしていました。
彼は、家族を紹介するからと、著者を招待してくれました。バスで行く見渡す限りの乾燥した大地、脳天を直撃する日光と熱風の中に、2軒の泥を固めた小屋がありました。突然、顔を隠した女性たちと、裸の子供たちがどっと出てきました。みな彼の家族と親戚の子です。
砂漠の生活がどのようなものか。著者はここで一か月を暮らすことにしました。水は2㎞離れた井戸から、女性たちが運んできます。あとは全く何もない簡素な生活でした。合理的でゴミも出ません。トイレは砂漠で済ませます。著者は毛布を借りて屋上で、怖いような星空を仰ぎながら寝泊りしましたが、そこは「超自然的世界」の「ゆらぎの空間」でした。新たな発見の連続は、後に修士論文となりました。著者は壊れて、自由になったのです。「了」

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