[多様性]-人と森のサステイナブルな関係-池田憲昭著 2021年8月12日吉澤有介

アマゾンkindle版、2021年3月刊

著者は、1972年に長崎県に生まれて。海、山、里の豊かな自然環境に育ち、岩手大学人文社会学部からフライブルグ大学森林環境学部に留学、デイプローム過程を修了しました。森林・農業政策、グリーンツーリズム、エネルギー政策を専門として、現在はドイツ、シュヴァルツヴァルトの西麓にあるフライブルグ市の近郊に住み、多彩な活動を続けています。

本書では、25年にわたるシュヴァルツヴァルト地域との付き合いを、「多様性」というキーワードによって、人間の連帯による知性的、創造的で、持続可能な未来を探っています。

日本でも世界でも「林業」といえば、単一樹種を一斉に植えて、成長したら一斉に伐採する、畑作的サイクルが一般的でした。「自然の森」を、人間の経済的な利用を目的とした「林」に変えるのです。しかし、著者がフライブルグ大学で学んだのは、「森林業」でした。自然の多様性、自然のサイクルを観察・理解して、自然に合わせ自然を活かして樹木を育てるのです。「森」を「森」として維持しながら、原木を利用します。また過去に造成した「人工林」でも、自然の力を活かす間伐で「森」に仕立て直します。伐ることで回りの木々を育て、多様な次世代の生命の誕生(天然更新)を促す、新しい「近自然的森林業」なのです。

さらにこの「森林業」では、経済性と同時に、生態系や景観、国土保全、人々のリクリエーションなどの多面的な機能も統合的に担う、「多機能森林業」をも目指しています。著者は、この「近自然的森林業」と「多機能森林業」を併せて、日本的な感覚で「気くばり森林業」と呼ぶことにしました。「樹木にどう育てられたいのか、聞きなさい」という謙虚な教えに従うことで、かってドイツに学んだ本多静六博士の志を継ぐことにしたのです。

この森林学とサステイナビリテイの概念を初めて提唱したのは、今から300年前のカルロヴィッツでした。ザクセン地方の鉱山担当官として、大量の木材が必要でしたが、当時の無計画で搾取的な森林利用による木材飢饉に危機意識を持ち、著書「経済的育林法」で持続的な森づくりと木材利用を主張し、森の持つ多様な価値を挙げていたのは驚きでした。20世紀後半、この森という総合的な生態系を再認識した複合的な「森林学」が生まれたのです。

森林学を実践する森林官は、まずその森の気象、地質、土壌、歴史、植生、樹種とその健康状態、つまり過去と現状を包括的に把握して、どのような森を目指すのか、自然の力を利用したバランスの良い、実現可能な目標を設定します。そのためには生態学はじめ関連する自然科学と社会科学をフルに活用し、同時に公益的機能と融合させます。具体的に最も大切な作業は「選木」で、残す木、育てる木を決めて、間伐する木を選ぶと、木々の成長の方向が決まります。光が土壌にあたって豊かな植生が育ち、次の世代が芽吹いてくるのです。

シュヴァルツヴァルトには、古代ローマ時代からの通商路があって、木こりたちは伐採した丸太を馬や牛に引かせ、町まで運んでいました。現代の機械化で、トラックや牽引ウィンチなどが出てくると、堅牢な道路による高密度の「路網」が求められるようになりました。丸太を牽引するには引き上げが安全なので、道路は谷沿いではなく、山の尾根沿いや中腹に等高線に沿って、ゆるやかに森全体を舐めるように整備されました。その道路は段差100~200mという間隔になっています。伐採から搬出までのスピードが、格段に向上しました。

森は約3割が私有地で多くの所有者がいますが、1950年代から共同の道づくりが公的支援によって強力に進められました。所有者共同体が管理し、面積に応じた管理費を負担してメンテナンスするのです。機械性能は年々向上していますが、ここでは山岳地帯なので、チェンソー伐倒と地引ウィンチ集材がまだ7割も占めており、古き良きシステムが健在です。

シュヴァルツヴァルトには、牧草地と森林を所有する兼業酪農家が多く、閑散期の冬場に酪農機械にアタッチメントを装着し、チェンソーを持って林業の仕事をします。生産性はおよそ丸太1立方米/h/人で、プロの半分くらいです。造材し選別して道端に積んでおくと、村の共同体組織が地域の製材工場などに販売します。土場での価格は針葉樹A~D材平均で1立方米あたり6~7000円ですから、ほぼ日本と同じ、時給3~4000円くらいの稼ぎになり、酪農経営を支えています。ここでも森林官の細かい指導が、深く根付いていました。

また高性能な森の路網は、市民のレクリエーションに大きく貢献しています。ドイツの人々は日常的に森に入ります。歩きやすく、明るく美しい安全な道が開放されているので、子どもから老人まで森を楽しんでいるのです。幼樹へのシカの食害があるときは、狩猟を楽しむハンターたちの出番になります。森林官はここでも指導力を発揮して、頭数調整を行います。適正な生息数は、森の下草刈りの手間を省いてくれます。収穫した肉は市場やレストランに供給しますが、これも迅速に移動できる路網があってこそできるのです。

著者は2010年から、日本の林野庁の「森林・林業再生プラン実践モデル事業」に招聘されました。ドイツとオーストリアの森林官を日本に招いたのです。北海道から沖縄までの森を隈なく歩いて、彼らは「素晴らしい、こんな多様で豊かな環境があるのか、信じられない」と感動しました。日本の森林と森林業に、計り知れないポテンシャルを感じたのです。しかし多くの日本の林業関係者の認識は、これとは対照的にネガテイブなものでした。

日本林業の過去数十年の低迷、多額の補助金に支えられた斜陽産業、地質も地形も複雑で急峻で雨が多く道がつくれない、作業コストが高いなどと、ポテンシャルでなく「問題」ほかりを挙げました。西欧の高性能な機械の導入と、最新技術の指導に期待したのです。

ところが森林官たちの反応は違いました。日本の森のポテンシャルに感銘を受け、戦後の拡大造林の一斉林を、たいへんな宝ものだと評価し、これを大事に育て、多面的な機能を持つ森にすること、それは機械で解決するのではなく、新しい森づくりのコンセプトと、道づくりが大切だと断言しました。①地質と地形に合わせた質の高い基幹道を整備し、②日本の森に合う古き良きワイヤー系の作業システムを見直し、③将来木を育成する選別間伐を繰り返し、④現在の一斉林を、天然更新させて多様で豊かな多機能の森林に替えてゆくことを提案したのです。基幹道建設には、急斜面に対応した設計と、万全な雨水対策が必須です。

まず北海道の鶴居村に10kmを、次いで日本の森の平均である岐阜県高山市の県有林に本格的に建設しました。堅牢性は抜群で、その後の8年間を全く無傷に、メンテナンスも殆ど不要でした。日本でも充分に通用したのです。一斉林の樹齢60年はまだ若い。日本の「森林業」に希望が生まれました。著者は、「森林大国」日本の再生を強く願っています。「了」

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