室町「下剋上」サバイバル  2026年9月16日 吉澤有介

清水克行著、文芸春秋、2026年7月刊    著者は、1971年東京都生まれ、立教大学文学部卒、早稲田大学大学院文学研究科で博士(文学)、現在明治大学商学部教授。専門は日本中世史。著書に「室町時代の騒擾と秩序」、「喧嘩両成敗の誕生」、「室町は今日もハードボイルド」、「室町社会史論」、「乱世の流儀—室町ワンダーランド—」、「世界の辺境とハードボイルド室町時代」(共著)他多数があります。
「室町時代」は、日本史で、たぶん一番人気がない時代でしょう。最近のアンケートでも、人気の一位が江戸時代、二位が戦国時代、三位が平安時代と続き、縄文時代にも負けて、十位にも入らず圏外になっていました。その理由としては、室町時代が「英雄不在」の時代だったという説があります。確かにリーダーの多くは、殆どがいい加減で、「下」から突き上げられて右往左往していました。しかし、著者は、そこに独特の面白さがあるといいます。
この時代で目立った一人に、足利義満がいます。22歳で将軍となり、すぐに右大将に任ぜられました。祖父の初代尊氏に並んだのです。公家の文化にもよく馴染んでいましたが、ある管弦の会で、公家中山親雅の妻を見初め、強引にわが物にしてしまいました。さらに別の公家や、弟の妻を奪い、ついには上皇の愛人にまで手をつけたのです。こうなると、それにつけ込む輩が出てきます。妻や愛妾を差し出して栄進しました。妻妾献上の効果は絶大だったのです。しかし義満には、女性たちを最後まで面倒を見たという一面もありました。
一方、室町時代の庶民の暮らしについては、資料がごく乏しく、大きな謎のままでした。応永11年(1404)、京都郊外のある荘園では、百姓たちが領主から下げ渡された米の桝の量り方が、「前斗かき」であると不満を述べていました。桝に米を盛った後に、摺り切り棒で表面を均すときに、摺り切り棒を、向こうから手前に引くことを「前斗かき」といい、逆に手前から向こうに押すことは「おろし」といいます。これが当時、大問題だったのです。著者はこれが不審で、近所の米屋の老主人に聞いてみると、現代の業界でも、公然の秘密と知りました。「前斗かき」では、米の量が減り、「おろし」だと増えるというのです。桝で米を掬うとき、人は必ず向こうから手前に引くので、その状態で「前かき」で均すと、中の米の密度が小さくなるために、量が少なくなり、一割も違うとわかりました。これは大きい。
著者は、大学4年の卒論で、戦国時代の公家の日記を、活字の写しで読んでいたところ、ある日記で奇妙な記述に出会いました。戦国時代の京都では、たびたび戦火で町が焼かれました。その時に住民たちは、続々と天皇の「御所」に逃げこんだとありました。驚いて京都で起きた政変や合戦の時期に書かれた日記を調べると、大事件の都度、数千人が「禁裏」に逃げ込んで、御所の中を最も安全な避難所にしていました。当時、政治権力を失っていた天皇は、庶民とも気軽に交流し、「開かれた皇室」になっていたのです。しかし、やがて秀吉の天下になると、関白の権威を高めるために、「天皇を隠す」ようになってしまいました。
著者の論文は学会誌に掲載され、研究者となるきっかけになりました。本書では、著者のその後の厳しい研究生活を、自伝風に語っています。そのテーマとした室町時代は、日本史上でも稀に見る異常気象で、飢饉や戦乱の続く時代でした。現代にも通じているのです。了

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