「歩くことの人類史」   2026年9月18日 吉澤有介

トルビヨーン・エーケルン著、枇谷玲子訳、平凡社、2026年7月刊   著者は1971年生まれ、ノルウェイ・オスロ在住の作家、ジャーナリスト、編集者です。自然の中で生きる感覚や記憶を、静かな筆致で描くことで知られ、自然、環境問題、人と自然の関係を中心に、執筆活動をしています。訳者は、大阪外語大学卒の北欧語翻訳者です。
著者は、人類が氷河期の終わりに北上し始めてから、現代のハイキングコースを歩くまでの道の様子を、少年時代に家族と共に歩いた思い出を中心に、魅力的に語っています。
古来、私たちは遊牧民でした。さまざまな土地を歩きまわり、同じ場所に留まることはありませんでした。世界には境界もなく、野生動物を追いながら、新天地に進んだのです。
現代の私たちは、人生の大半を座って過ごします。店に行くには車、長旅では列車や航空機を使います。旅は本来の目的を失い、もはや生活維持のためではなく、骨休めや楽しみになっています。古人の歩いた小道はやがて道路になり、舗装されてゆきました。周りの景観よりも時間の短縮が求められ、だれもが迷わずに目的地に行けるようになりました。
そんな日常を過ごしていた著者は、ある日突然に、オスロのオフィスで倒れたのです。救急車で入院し、MRTやCTなどの検査の結果は、なんと「てんかん」との診断でした。もう車の運転はできません。これまでの人生は、大きく変わってしまいました。退院すると、著者はドライバーではなく、ウオーカーになっていたのです。これは新鮮な驚きでした。
どこに行くにも歩きなので、子どものころの小道の感覚が蘇ってきました。リュックを背負い、いろいろな歩き方を試してみると、すべての意識が体の動きに向かい、左右の足の置き方、バランスをとる骨や筋肉の動きが良くわかります。さまざまな街の音や、鳥のさえずりも聞こえるようになり、どんどん歩きたくなったのです。
人類が、アフリカのサヴァンナで木から降りて、最初にしたのは歩くことでした。行く先々に足跡をつけ、その足跡を他の人類が辿り、小道が生まれてゆきました。やがて歩くことそのものが目的になりました。著者は今、ノルウェイの高原を、氷河の痕跡であるモレーンを越えて、年に三千キロを歩いています。それでも、できればもっと歩きたい。
背中のリュックはすでに体の一部になっていました。とくに一人で歩くと、自分自身の体に意識が集中します。道こそが目的で、目的こそが道なのです。古来、おおくの哲学者は、散策は思考の場であり、知的認識と、美的感覚を促す触媒と捉えていました。しかし、著者にとっての歩くこととは、何かを考えるのではなく、むしろ何も考えないことでした。
石器時代の人間の人生は、誕生から死に至るまで、移動そのものでした。人生は文字通りの旅だったのです。そこには家もないので、郷愁もなかったことでしょう。生き延びるためには、歩き続けることしかありません。そして道を見つけ、進路を定めていったのです。
ゆっくり歩くと、足がどのように動いているかを感じます。踵から着地し、前に転がり、つま先で地面を蹴ります。小指もしっかりと働いていました。小道は、そこを歩いてきた人間の物語であり、小道を歩くことは、自分自身を見つける一番の近道だったのです。「了」

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