「イスラムがヨーロッパ世界を創造した」—歴史に探る「共存の道—」2023年11月16日 吉澤有介

宮田 律著、光文社新書、2022年5月刊  著者は1955年、山梨県に生まれ、慶應義塾大学文学部史学科卒、同大学院文学研究科で史学を専攻して、カリフォルニア大学(UCLA)に留学しました。静岡県立大学で中東アフリカ論や国際政治学を担当し、2012年に現代イスラム研究センターを創立して理事長になりました。著書に「イラン」(光文社新書)、「中東イスラームの民族史」(中公新書)、「武器ではなく命の水を送りたい、中村哲医師の生き方」(光文社)などの著書があります。
7世紀の初頭、アラビア半島に生まれたイスラム教の文化は、瞬く間に北アフリカからイベリア半島に渡り、ヨーロッパに一大革命をもたらしました。今のヨーロッパの文化の多くはイスラムにルーツがあります。本書では、イスラムが文化、科学、芸術、食などの分野で、人類にいかに大きく貢献をしてきたかを、多くの事例を挙げて紹介しています。そこには互いに寛容の心を持って共存し、溶け合い、影響しあった長い歴史がありました。
現在、欧米では、「イスラム・ヘイト」で、深刻な事態が生じていますが、それはイスラムを野蛮で遅れた文化とみる、誤った認識のためなのです。欧米人が、自らの文化や文明の多くが、イスラムの貢献によると知れば、事態はまた変わってくることでしょう。
まず、食の文化ではペルシャ・ワインがあります。ワインづくりは、BC4000年ころに中東で始まりました。ギリシャ人とフェニキア人は地中海でワイン交易を展開し、ローマ人もブドウ栽培に熱心でした。イスラムでは酒を禁じていますが、実際には飲酒の習慣が根強く残っていて、ワインつくりは盛んでした。13世紀に十字軍の騎士が持ち帰ったワインは、現在。フランスやオーストリアの高級銘柄になっています。またウィーンのコーヒー文化も、オスマン帝国軍の置き土産でした。デザートのザッハトルテも、トルコが起源です。ノアの箱舟に由来する平和のシンボル、オリーブもムスリムからスペインに伝わりました。
ムスリムは、シルクロードを通じて、東西文明を結びました。その要衝にあったバグダードは、10世紀には人口150万人に達し、商業はもとより、学芸の中心都市でもありました。ギリシャの古典の翻訳が盛んにおこなわれ、哲学、科学、文学が高度に発達しました。
さらに十字軍は、ヨーロッパに絶大な影響をもたらしました。約200年間に7回の遠征では、戦争は散発的で、むしろ共存する場面が多く、交易の拡大、文化の交流が進みました。地中海諸都市に莫大な富をもたらし、宗教的にはお互いに寛容でした。社会制度も多様で、ムスリムの高度な文化、文明は、⒓世紀に始まるルネッサンスの遠因になったのです。
ヨーロッパの中では、とくにイベリア半島、イタリア半島、そしてシチリア島が、ムスリムの強い影響を受けました。ムスリムに支配されたイベリア半島は、アンダルスと呼ばれて、多くの文化を遺しました。コルドバのモスクは、イスラム、ユダヤ、キリスト教の共存を今に伝えています。またシチリア島では、ムスリムが先住民に信仰の自由を認め、多様な文化を生み出しました。さらに13世紀の神聖ローマ帝国のフリードリヒ2世は、アラブへの深い理解と寛容な姿勢で、中東和平を実現しました。カイロには、イスラムとユダヤの共存の歴史を伝える、ゲニザ文書も遺されています。歴史には確かな手がかりがありました。「了」

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