「ストーンヘンジ」—巨石文化の歴史と謎—  2023年3月12日 吉澤有介

山田英春著、筑摩書房、2023年1月刊
著者は、1962年東京生まれで、国際基督大学卒のブックデザイナーです。古代遺跡や先史時代の壁画の撮影を続け、石の蒐集家でもあります。著書に「巨石—イギリス・アイルランドの古代を歩く」(早川書房)、「奇妙で美しい石の世界」(ちくま新書)などがあります。
ストーンヘンジは、世界で最も有名な遺跡の一つです。本書の口絵には、その素晴らしい写真がたっぷりと飾られていました。重厚な石のブロックを組み合わせた構造は、現代の芸術家の抽象的な立体作品に見えますが、いつ、だれが、何のために、どのようにつくったのか、今もなお解明できない不思議に包まれています。著者は巨石に魅せられて、ブリテン諸島を何度も訪れました。ブリテン諸島には、BC3000年代初頭から、2000年に及ぶ巨石文化の歴史がありました。しかしその中でも、ストーンヘンジは異質な謎を秘めていたのです。
ロンドンの西約130キロの、ソールズベリー平原にあるストーンヘンジは、年間百万人が訪れる世界有数の歴史遺産ですが、現在はほぼ半壊した廃墟で、近づくことはできません。しかし、許可を得て中に入ると、その重量感に圧倒されます。最近の研究で、BC2620~BC2020 年の建造とわかりました。エジプトの3大ピラミッドの時代と重なります。
復元モデルによると、主要構造は直径約30mの円形に、高さ約4mのサーセン石の巨石の柱が30個並び、その上を水平につなぐようにリンテル石が乗っています。その輪の内側には、「三石塔」と呼ばれる一段高い門5組が造られています。それらの根元には、ブルーストーンと呼ばれる60個ほどの石が取り巻いていました。それぞれの石には精緻な加工技術が見られ、上下の巨石はホゾとホゾ穴で固定されています。サーセン石の重量は平均20t、最大40tもあり、小型のブルーストーンでも1~3tもあります。サーセン石は堆積岩で、25キロほどの近郊に採石跡がありました。それでも運搬は大事業だったことでしょう。
それよりもブルーストーン(流紋岩)の方が問題でした。産地は西ウェールズと確認されましたが、直線距離で220キロも離れています。またストーンヘンジには100人以上の人骨が埋葬されていて、その分析結果から西ウェールズの人々ということもわかりました。火葬された人骨の埋葬地が始まりだったようです。西ウェールズとの道の跡も発掘されています。近年の運搬実験により、ブルーストーンは水路でなく陸路の可能性が示されました。
周辺の新石器時代初期の遺跡にも、300を超える墳墓や囲い地、深い穴などがあり、農耕民が進出して、中石器時代の狩猟採集民との交流があったことを示しています。中石器時代人としては、「チューダーマン」で知られる人骨が発見され、その直系の子孫が2人現存していることで話題になりました。出土した石器や動物の骨からも、かなり大きな集団が交流した形跡がありました。それは定住ではなく、何かの催しのために各地から人が集い、大規模な祝宴が開かれていたという説があります。それこそが「冬至」の日だったのでしょう。
天文学者たちが指摘しているように、ストーンヘンジの軸の方向は、冬至を示しています。さらに30個の石柱は、月の運行を示し、12カ月に5基の三石塔をプラスすると365日の太陽暦に一致するといいますが、壮大な共同作業の謎は、一そう深まるばかりでした。「了」

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