「江戸の宇宙論」池内 了著、集英社新書、2022年3月刊 2022年5月22日 吉澤有介

 著者は、1944年生まれの著名な宇宙物理学者です。京都大学理学部物理学科卒、同大学院理学研究科を修了しました。名古屋大学名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授です。「物理学と神」、「宇宙論と神」、「科学の限界」、「科学者と軍事研究」、「司馬江漢」など多数の著書があります。「科学の考え方、学び方」では、講談社科学出版賞を受賞しています。
 江戸時代に移入した「蘭学」は、人々に、多種多様な人間がこの地球上に住んでいること、広大な新しい世界があることを伝えて、華々しい文化革命を引き起こしました。この新しい学問は、①語学、②医学、暦学、本草学、博物学などの自然科学分野、③国際情勢、地理学、地誌学などの人文科学分野、④技術に関する分野という広範囲にわたり、初めは実利として受け入れましたが、次第に天文学、窮理学(物理学)や博物学などの、純粋な知の分野に発展してゆきました。人々は、学問の面白さを知って、貪欲に吸収していったのです。
これには8代将軍徳川吉宗による、キリスト教関連以外の洋書輸入解禁政策が大きく貢献して。18世紀半ばから19世紀前半にかけての、ほぼ100年間の「蘭学の世紀」となりました。それ以前にも、すでに長崎通詞たちがオランダ人と通商交渉を行っており、医学書などの翻訳や編纂をしていましたが、「蘭学」として公認されて、総合的に発展したのです。
幕府は青木昆陽らに蘭語の学習を命じましたが、最も影響力があったのはやはり長崎通詞で、大通詞の吉雄耕牛の「オランダ学」は、訪れた江戸人たちを強く刺激しました。
自然科学の通詞の先達は、本木良永でした。早くから翻訳に専念して研鑽を重ね、地球図説や天体観測による航海術などを翻訳し、さらに代表的翻訳書「太陽窮理了解説」で、コペルニクスの地動説を、太陽中心説として日本で最初に紹介しました。天文学の用語に、恒星、惑星、彗星などの訳語を造語しています。写本は広く流布して、大きな影響を及ぼしました。
同じく通詞仲間であった志筑忠雄は、蘭語・蘭学に通じ、理系に強く、その上に和漢の文才がありました。オランダ語の研究書10種、世界地理・歴史関係で6種、天文学、物理学、数学で11種の著作を遺しました。1690年に出島に来たケンペルの「日本誌」を抄訳して注釈を加えた「鎖国論」で、鎖国を造語して、鎖国政策を正面から論じています。また彼は「天動説」、「地動説」という言葉を発明しました。本木説を継承して、原文の「太陽中心説」を「地動説」として、中心にこだわる西欧思想に対して、相対的な宇宙論を展開したのです。ケプラーやニュートン力学を紹介し、引力、遠心力、重力、真空、分子など、多くの物理用語を造語しました。天文学・物理学入門書の「暦象新書」の翻訳は大きな功績でした。
江戸の高名な絵師であった司馬江漢は、強い好奇心で見聞した「地動説」や「宇宙論」を、広く世間に広めました。著者は「江戸のダ・ヴィンチの型破りな人生」を上梓しています。
また山片蟠桃は、豪商「升屋」の番頭で、浪華の学問所「懐徳堂」で蘭学を学び、志筑の「鎖国論」と「地動説」に刺激されて、「夢の代」を著し、壮大な宇宙論を展開しました。太陽を恒星の一つとみて、宇宙には無数の恒星と、それぞれに惑星と衛星があり、地球と同じく生命に溢れているとしました。現代にも通じる、世界に先駆けた宇宙論でした。「了」

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