「老年について 友情について」キケロー著大西英文訳 2019年4月17日 吉澤有介

講談社学術文庫2019年2月刊 本書は、マルクス・トウッリュウス・キケロー(前106年~前43年)の対話編の一つです。キケローは、激動する共和制末期のローマに生きた偉大な思想家であり、政治家でもありました。カエサルと同時代で、のちの西欧の思想と教養に大きな影響を与えています。

とりわけ「老年について」は、洋の東西、古今を問わず、人間にとっての永遠のテーマでしょう。キケローは、本書で老いの処し方を極めて肯定的に、実践的に語っています。

それは84歳に達した大カトーの名を借りて、若い小スピキオーたちに語る形式となっていますが、珠玉のような言葉で満ちていました。その一端をかいつまんでご紹介しましょう。

・君にも私にも共通の、すでに間近に迫りつつある老年、あるいはやがて必ず訪れる老年という、この重荷から君をも、そして私自身をも解放したいという願いから、心にとめたことなどを書き贈ろうと決めた。これは私にとっても実に愉しい仕事で、老年の煩いをことごとく拭い去ってくれたばかりか、老年を穏やかで愉しいものにしてくれたのである。

・人は誰しも老年まで生きたいと願うが、みずから願った老年でありながら、老年に達したら達したで、これを詰る。老年は思ったよりも早く忍び寄るといって愚痴をこぼす。老年になって一番情けないのは、他人に嫌がられることだ。老年は、何よりも周囲に喜ばれる存在でなければならない。若者に敬われ、愛される老年は、活動的で、常に何かを行い、新しい知識を求めて励んでいる。日々何かを学び、知りながら老いてゆくのだ。

・自然は、何事にも何らかの最後があるのを必然とする。木の実や大地の稔りに喩えれば、時宜にかなった成熟によって、いわば萎れ、落下してゆく。賢明な人間ならその最後を従容として受け入れねばならない。自然に従って生ずるものは、すべてが善きものなのだ。

・老年に対処する最適の武器は、もろもろの徳の理(ことわり)の習得と、その実践だ。善く生きたという自負心と、数多くの善行の思い出は、無上の喜びとなるからなのだ。

・老年は、人を諸々の活動から遠ざける。体力を使えないからだ。ならば肉体は衰えても、精神の力による老人らしい活動があるではないか。しかし記憶力は衰える。ただしそれは鍛錬を怠れば、あるいは生来愚鈍であれば、の話だ。どこかに若者らしさを残すことだ。

・私は、今でも若者の体力が欲しいと思うことはない。それは若い頃に、牡牛や象のような力が欲しいと思ったことがないのと同じだ。今あるものを用い、何をするにも自分の持てる力相応のことをするのが、ふさわしい行動というものだ。弁論でも、老人の静かで抑制された語り口は、それ自体が傾聴を勝ち取るのだ。事実、若者の情熱に囲まれた老年ほど喜ばしいものが他にあるだろうか。彼らを教育、指導することは老年の最高の誉れなのだ。

・老人の体力では、社会的な務めはおろか、日常の生活もできないほど体力の衰えた老人は多い。だがそれは老年特有の難点というより、壮者も含めた病弱に共通する問題なのだ。

・老人が生を終えることほど、自然なことがあるだろうか。長い航海の末に陸を目にし、ついに港にたどり着く。生の満足感が、機の熟した最後の時を運んでくるのだ。

語るべきことは語った。君たちが老年になった時、正しかったと思ってくれるかな。「了」

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