「チェコに学ぶ「作る」の魔力」 2023年1月28日 吉澤有介

あまのさくや著、かもがわ出版、2022年5月刊
著者は、女流の絵はんこ作家、エッセイストです。カリフォルニア生まれ、東京育ちで。青山学院大学卒。学生時代からチェコの文化に魅せられ、チェコ親善アンバサダーになりました。現在は岩手県紫波町に移住して、地域起こしと創作活動を続けています。
チェコに惹かれたはじまりは、その人形アニメに触れたことでした。日本やアメリカのアニメと全く違う、異様な雰囲気と世界観に引き込まれ、チェコ共和国への憧れを募らせてゆきました。最初の訪問は、学生時代の4伯5日の旅で、すべてが眩しく夢のような日々を過ごしました。その後も訪れるたびに刺激され、現地に友人が次第に増えてゆきました。
その魅力の根源は、「作る」ことにありました。「チェコ人の黄金の手」という諺まであって、チェコ人はとにかく器用にモノを作ります。チェコには、第二次大戦後の冷戦という暗くて厳しい時代がありました。プラハの春の後も、なお20年もの苦しい時代が続き、資材も物品も入手できませんでした。その中で人々は、家電が壊れたら自分で直し、家が傷んだら修繕し、郊外に「ハタ」と呼ばれる別宅までつくっていたのです。マリオネットの細かいからくりを作るなどはお手のもの、ワインショップでは地下貯蔵庫まで自作していました。

千葉県いすみ市在住のチェコ人がいます。海まで徒歩10分の、民泊を兼ねた自宅と、マリオネット劇場まで自作したという「いすみ里の家」で、日本人の奥さんに2人の息子と愛犬と暮らしているパヴェルさんです。4棟の建物にアトリエ小屋まであって、焚火をしたり、ツリーハウスで遊んだりもできます。プラハにある家も3年かけて自作し、さらに郊外に山小屋風のハタまでつくったそうです。買うより「作る」ほうが面白いのがチェコ人でした。

東京・広尾にあるチェコセンターの所長は、エヴァ高嶺さんです。東京の自宅とは別に、山梨にハタとしてコテージを持ち、週末を過ごしています。生まれ育った北ボヘミアの家にもハタがあり、のちにプラハに移ったときも、120㎞ほど離れている村に、簡素なハタを建てました。週末はもちろん、夏休みは殆ど何もない不便な暮らしのハタで過ごし、共産党政権下にあっても、生き延びることができたのです。ハタは日常から脱出する妙薬でした。
チェコに留学して、そのまま住み着いた友人もいます。イラストレーターの松本紗季さんは、「桑沢デザイン研究所」から交換留学生として、プラハ工芸美術大学に入学しました。
コロナ禍の中で、ハタでのパーテーなどを通じて、すっかりチェコに溶け込んでいます。
ゆっくりと自然の中で過ごして創造性を養い、ヨーロッパ各地で活躍していました。
著者は、両親の介護の後に東京を離れ、岩手県の紫波町に移住しました。友人の紹介で訪れて、一目惚れしたのです。気候や人々の暮らしが、チェコ共和国で最も好きな南モラヴィア地方とそっくりで、自分が自分でいられる、自分にとって心地よい「脱出」でした。
久しぶりにハンコを彫りました。コロナ禍で外出は控えましたが、個展を開き、子供たちにハンコ遊びを呼びかけました。無料で図案を公開し、オンラインで講座を開催しました。著者は、チェコ共和国に愛をこめて、作りたくて作る日々を楽しく送っています。「了」

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