「歴史を変えた自然災害」ルーシー・ジョーンズ著、大槻敦子訳、2021年10月14日 吉澤有介

ポンペイから東日本大震災まで
          原書房、2021年3月刊
著者は地震学者です。33年にわたり米地質調査所の研究員をつとめ、現在はカリフォルニア工科大学助教で、リスク軽減のためのサイエンスアドバイザーとして活動しています。
2000年前のローマ帝国ポンペイの街は、火山噴火による有毒ガスと火砕流で埋めつくされ、数日のうちに都市全体が消え去ってしまいました。当時住民の9割は生きて脱出しましたが、その地は放棄され、18世紀に遺跡が発見されるまで、そこに都市があったことさえ忘れ去られていました。しかし現場にいた小プリニュウスによる記録が、現在まで伝えられています。それでも人々は、その後も災害を神の定めとしたまま数千年が過ぎたのです。
なぜこの危険な場所に都市を建設したのか。それは、噴火していないときの火山が素晴らしい居住環境のためでした。富士山の次の噴火が確実な現在でも事情は変わっていません。
1755年、ポルトガルの首都リスボンは、ロンドン、パリ、ウイーンに次ぐ欧州4番目の大都市でした。新世界からの富が流れこみ、王家も金やダイヤで溢れていました。そこにM9.0の人類史上最大級の地震が襲いました。アフリカプレートが北上し、300km以上の断層が動いて、巨大津波が起こったのです。たまたまカソリックの諸聖人の日で、多くの人が教会の下敷きになり、逃げ惑った人びとは津波に巻き込まれました。死者は4~5万人にも達しました。この欧州最大の自然災害に、初めて中央政府が主な対策を行っています。
王家は狩猟好きが幸いして野外にいて無事でした。実務に当たったのは敏腕政治家のデ・カルヴアーリョで、王の諮問に「陛下、死者を葬り生存者に食べ物を」とお答えして、果敢に行動しました。200もの法令を手書きし、健康な市民を動員して避難所をつくり、略奪行為は即決裁判により即座に処刑して、秩序を回復しました。彼は復興をはかどらせるために必要なことを見抜き、市民に希望を与えたのです。リスボンは再建され、彼は伝説的英雄になりました。イエズス会の専横を抑え、地震に関する初の科学的調査にも着手しています。
リスボン地震の物理的な揺れは北欧にまで及び、その揺れはキリスト教思想に、根本的な変化をもたらしました。勃興していた啓蒙思想による科学的思考に弾みがついたのです。
1783年、アイスランドのラキ火山が噴火しました。人口僅か5万人の島国で起きたのに、総死者数は数百万人、破壊は地球全体に及びました。島の内部では、宗主国デンマークの支援がないまま、ヨン牧師が必死の活動で人びとを守りましたが、噴火のガスは成層圏に達し、地球は極度に低温化して大飢饉となり、後のフランス革命の要因となってゆきました。
米国ミシシッピー川は、1926年8月から翌年まで降り続いた豪雨で、流域全体に大洪水を起こしました。60万人以上が家を追われ、農地は冠水して、人種問題もからみ最悪の状態になりました。ここに商務長官で実績をあげていたフーバーが登場して、動かぬ連邦政府に対して赤十字社によって事態を収拾し、やがて世界大恐慌に突入します。この災害時での最大の脅威は、極限状態における人間性でした、それは他の大災害にも共通するものだったのです。さらに東日本大震災までの、世界の自然災害を丹念に掘り起こしていました。著者は、ロサンゼルスに予想される巨大地震に備える防災プロジェクトに参加しています。「了」

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