「自然という幻想」エマ・マリス著 2021年7月18日 吉澤有介

岸由二/小宮繁訳、草思社文庫、2021年4月刊

著者は、ワシントン州生まれのサイエンスライターで、ネイチャー誌に勤務していました。自然、人々、食べもの、言語などについて多くの執筆をしています。訳者の一人、岸由二氏は慶應義塾大学名誉教授。生態学専攻でドーキンスの「利己的遺伝子」の訳者です。

私たちは、過去300年で多くの自然を失いました。その自然を「もとの姿」に戻すことは果たして可能でしょうか。生態学者たちは、手つかずの自然こそが自然であるとして、原生林などのウィルダネスの領域を探し求め、その研究と保存に全力を注いできました。しかし、現在の地球には、すでに「手つかずのウィルダネス」はどこにも存在しません。

生態学者や自然保護者の多くは、あくまでも変化した生態系よりも在来の生態系のほうが良いという、信仰のような固定観念にとらわれていますが、そこには基準となる過去の自然という観念がありました。人類が到達する前、あるいは白人が到達する前のアメリカの自然などです。しかし基準となる過去の自然を決めるのは、簡単ではありません。生態系は、常に変化しています。世界各地に自然復元の動きが出ましたが、多くの困難に直面しました。

イエローストーンは、数万年にわたって氷河の下に埋もれていました。森の植生は次第に変わって、1万数千年前に、現在のインデアンの祖先たちが住み着きました。ヨーロッパ系アメリカ人が、狩猟をしながら初めてここを訪れたのは1800年ころでしたが、本格的に調査の対象となったのは1860年代で、たまたまその頃にソローの影響を受けた人々が、崇高な「自然」を発見したのです。手つかずのウィルダネス信仰の始まりでした。世界初の国立公園として、自然保護の聖地となりました。しかし公園管理者たちは、激しく変遷してゆく生態系に混乱します。自然は、人間活動のほか、気候変動や森林火災、大地の大規模な変化などの要因で、さまざまに変化していました。初期の人類による、大型草食獣絶滅の影響も甚大で、動物相だけでなく植生などの生態系までも、大きく変えていました。私たちは、科学的にも歴史的にも、この生態系の変化を止めることは不可能です。逆に過去をいくら遡っても、平衡した理想的な原始の森、ウィルダネスは幻想であったと知ったのです。

そこで、この複雑な生態系の不確かな回復を目指すよりは、具体的に測定可能な目標を設定して、望ましい自然を設計してゆこうとする動きが出てきました。回復生態学者たちは、「基準となる過去の自然」にとらわれない、新しい生態系構築の可能性に気づいたのです。例えば水質の浄化、生物の多様性の維持、余分な堆積物の除去、土質の改善などの、生態系へのサービスによる、過去の自然にも劣らない「デザイナー生態系」というものでした。

それは再野生化で自然を増やす動きに発展してゆきました。オランダの干拓地の保護区は、太古の草原の様相で、絶滅した野生ウマの種に近いウマが放たれ、キツネやシカが遊んでいます。北米でも、更新世の野生を実現するために、絶滅した大型動物の代理動物種の導入が真剣に討議されています。人工的な野生で自然を増やそうというのです。環境の変化に応じて、動物たちを移動させる管理移転も行われています。私たちの周りの自然も、持続可能な設計による多自然ガーデンとして管理する、新自然保護策の提案は新鮮でした。「了」

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