「環境考古学事始」安田喜憲著2021年2月2日 吉澤有介

日本列島2万年

NHKブックス昭和55年4月刊

コロナ禍で図書館を敬遠して、古い蔵書を眺めていたら本書に目が止まりました。1980年の初版でしたが、いまなお実に新鮮で、全編が「事始め」の意気込みに溢れていました。
著者は、幼いころから自然の風景に興味があり、東北大学大学院で地理学を専攻しましたが、梅材忠夫の「文明の生態史観」をさらに発展させる、自然環境の変化と人類の文化・生活の歴史との関わりを、強く求めるようになりました。「環境考古学」の事始めです。

日本列島に人類が居住した痕跡は、今から約3万年前と確認されていますが、人々はそれ以降の自然環境の変遷と、どのように関わってきたのでしょうか。旧石器時代や縄文時代の人々が見ていた古環境を復元するには、古地理・古気候・古水温・海水準などの無機的要素と、植物相・動物相に寄生虫・細菌に至る有機的要素までを復元し、次いで考古学・歴史学・民族学などにより人類の文化・生活の様子を復元して、正確な年代測定でその時間断面を捉えなければなりません。これにはそれぞれの専門家との共同研究が必須となります。

本書では、旧石器時代の岩手県花泉遺跡の発掘の経緯が詳しく語られています。発掘は東北大学の研究チームによって、1953年から10数年にわたって続けられ、著者は1975年に若手研究者として、この金流川の中位段丘にある泥炭層の花粉分析に取り組みました。⒕C年代測定によると、この泥炭は3万5千年前から1万年前にわたって堆積していました。有機物の分解しにくい泥炭層では、1gあたり10万個以上の花粉が含まれています。その花粉を一定の手順で取り出し、顕微鏡で観察して樹種ごとの数を数えて森の状態を復元するのです。その結果を花粉ダイアグラムで表すと、3万年前は亜寒帯針葉樹林でイラモミ・アカエゾマツ・チョウセンゴヨウが主で、それにカラマツなどが混じっていました。沼沢地の植物も含めて原風景を復元し、同じく発掘された大型哺乳類のオオツノシカ・ヘラジカ・野牛などの化石に、人為的に加工された石器や化石骨を加えて、当時の人々の生活環境を描きました。このようにして日本列島の旧石器時代の様相が次々に明らかになってきました。

3万年前の亜間氷期を過ぎると、気候は次第に寒冷化し、2万年前頃には最終氷期の中では最も寒冷な時代になります。年平均気温が現在よりも6~9℃も低かったこの時代は、日本の後期旧石器時代のナイフ型石器文化がもっとも栄えた時代でした。ナイフ型石器には、北海道と東北・中部のグループに、中部以西のグループの、東西の地方ごとにタイプの違いがあり、当時の日本列島の植生分布と明らかに重なっていました。日本文化の基本構造である東日本と西日本の地域性は、すでに2万年前に出現していたのです。(付図12参照)

当時は、海面が現在より80~140mも低く、北海道は樺太・シベリアにつながり、津軽海峡には陸橋がありました。対馬海峡が朝鮮半島と陸続きであったとは言い切れませんが、海底地形に多くの発見があり、対馬海流の変化は日本の気象条件に大きく影響していました。

者はさらに福井県鳥浜貝塚の発掘に取り組み、縄文早期1万500年前からの遺跡が連続した稀有な遺跡で、自然環境と縄文人の生活を復元しています。その延長の水月湖における年縞の発見が、7万年に及ぶ世界年代標準指標という大成果に発展したのです。「了」

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