「一寸の虫にも十分の毒」河合述史著 2020年2月15日 吉澤有介

講談社エデイトリアル2018年11月刊

著者は自治医科大学名誉教授です。東京大学医学部卒業後、コロンビア大学でクロゴケグモ毒に出会って以来、一貫してハチやクモなどの生物毒の神経作用を研究してきました。その「ジョロウグモ毒の神経科学的研究」では、2006年度の学士院賞を受賞しています。

クロゴケグモ毒の研究では、ロブスターの脚を使って、シナプスに働く毒の作用を確かめ、その仕組みを明らかにする成果を挙げましたが、2年半後に帰国してみると、日本にはクロゴケグモがいません。府中市にある東京都神経科学総合研究所(神経研)に勤務しながら、日本の未知の神経毒を探すことにしました。まずはこれまで報告例のないスズメバチです。

巣は、やみくもに探しても見つからなかったのに、小学生が簡単に教えてくれました。何と研究所のすぐ前の住宅の軒下です。茶色と白のまだら模様の大きな巣でした。体長2㎝もあるコガタスズメバチが盛んに出入りしています。捕獲作戦は全部のハチが戻った夜間とし、出入り口を棒の先につけた麻酔薬のエーテルを滲ませた脱脂綿でふさぐと、巣の中では大騒ぎになりました。やがて麻酔が効いて静かになったので、巣を丸ごと捕虫網に入れます。悪戦苦闘の大捕り物でした。しかし毒を採取してみると、1匹あたりはごく少量です。そこで市役所に頼んだところ、すぐに反響があり、大量の巣を集めることができました。防護服と七つ道具で次第に腕を上げると、業者と間違えられて、研究所でも冷やかされました。

ハチ毒の研究には、昆虫と同じ節足動物のイセエビの脚を使いました。毒を注入して筋肉の電位の変化を調べるのです。毒には多様な成分があり、それぞれの作用がありました。理研の協力を得て、さらにミツバチの天敵であるオオスズメバチと取り組むことにしました。これは攻撃的な難敵です。刺されて救急車のお世話になったり、覆面で懐中電灯をつけたりして林の中をはい回っているうちに警察に通報されるというエピソードもありました。

しかし理研との連携は大きな成果を挙げました。オオスズメバチの毒腺は、コガタスズメバチの数十倍の大きさです。その中から分子量2万の「マンダラトキシン」を分離、命名しました。神経や筋肉に生ずる活動電位を止める作用があります。フグ毒に似ていました。

また、幼虫が出すある種のアミノ酸には、何キロメートルも飛び回るオオスズメバチのエネルギー源がありました。これは後にスポーツドリンクとして商品化されています。

1981年秋のある日、オオスズメバチの採集の途中で、ふと目についたクモを持ち帰りました。ジョロウグモとの出会いです。イセエビの脚の反応を調べてみると、意外にもかつて突き止めたクロゴケグモ毒の興奮性電位と、全く逆の作用をしていることが見つかりました。ジョロウグモの毒は、抑制性電位を示して、シナプスの伝達物質のグルタミン酸受容体のブロッカーであることがわかったのです。「ジョロウ・スパイダー・トキシン」(略称JSTX)と命名して、ジャーナル・オブ・フィジオロジー誌に発表して、世界中から大きな反響がありました。しかし、ジョロウグモの採集も大仕事で、アルバイトを動員して2万匹も集めた苦労があってのことです。やがて世界で初めて構造をつきとめ、東大などで合成に成功しました。このJSTXは、認知症の予防効果が期待されています。神経毒の不思議でした。「了」

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