「星空をつくる機械」—プラネタリュウム100年史–  2023年12月7日 吉澤有介

井上 毅著、KADOKAWA、2023年10月刊   著者は1969年の姫路市生まれ、名古屋大学理学部卒、同大学院理学研究科を修了して明石市市立天文科学館学芸員。2017年より館長になっています。専門は天文教育。山口大学時間額研究所客員教授。永年にわたる天文普及の貢献で、小惑星10616は「Inouetakeshi」と命名されました、著書は「時の記念日のおはなし」(明石市天文記念館)など。現在、日本プラネタリュム協議会の「プラネタリュウム100周年記念事業」の実行委員長です。
今年2023年は、近代プラネタリュウムがドイツで誕生して100周年になります。1923年に「イエナの驚異」と呼ばれたツアイス社のプラネタリュウムが公開され、人々は星の輝きに驚きました。それはこの年の米国のハッブルによる、アンドロメダ星雲が銀河系の外にあるという大発見と重なり、さらに感動的なものになりました。星も人間も同じ宇宙のかけらです。プラネタリュウムは宇宙を見る場所であり、自分自身を眺める場所でもあったのです。
近代プラネタリュウムの誕生には、長い前史がありました。満天の星空に、5千年前の古代メソポタミアでは天体観測を行い、星座を定め、その周期性を記録して、国家の行く末を占いました。これは同時代の古代エジプトに伝わり、さらに古代ギリシャで大きく発展しました。タレスが天球儀をつくり、アルキメデスは天体運行儀をつくったといわれます。近年その最古の天体運行儀が、アンテイキラ島の海中で発見され、高度な技術が確認されました。
天文学は、16世紀のコペルニクスの地動説による科学革命で、新時代を迎えます。航海に天体観測は欠かせず、各国で天文台が整備されました。ここでオランダの羊毛業者アイジンガーが、独学でプラネタリュウムを構想し、1781年に完成すると大評判になりました。一つの重りで駆動し、天体は高精度で動きました。日食も月食も正確に表現しています。
近代プラネタリュウムは、電気技術の発展で誕生しました。パリの万博に感動したミュンヘンの電気技師ミラーが、ツアイス社に構想を持ち込み、熱心に口説いて初の「投影式」のレンズによる機構を完成させたのです。第一次大戦の苦境を挟んでの大きな成果でした。
本書では、その構造を詳しく解説しています。改造を重ねたツアイスのプラネタリュウムは、世界に広がってゆきました。日本では、1937年の大阪市立電気科学館が最初でした。
大阪市での開館は、全国の天文愛好家を驚かせました。京都帝大の山本一清の生解説に、エルガーの「威風堂々」の曲が流れました。少年時代の手塚治虫は、その魅力に嵌って毎月通いつめ、ついには自作もしています。東京では一年遅れて、有楽町の東日会館の6階に設置されました。解説は東京科学博物館の鈴木敬信に、星の文人・野尻抱影で人気は抜群でしたが、実働時間は僅かでした。1945年5月の空襲で壊滅したのです。しかし大阪の電気科学館は奇跡的に無事でした。1946年2月、廃墟の中で復活して、超満員になりました。
戦後の東京では、まず五島慶太が東急文化会館に設置し、次いで全国に普及してゆきます。
1950年代に入ると、宇宙ブームが起きて、国産プラネタリュウムが生まれました。千代田光学精工(のちコニカミノルタ)、五藤光学研究所、大平技研の3社で、それぞれに特色があります。プラネタリュウムは、宇宙開発とともに無限の可能性を秘めているのです。「了」

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