「どんでん返しの科学史」小山慶太著 2020年2月3日 吉澤有介

蘇る錬金術、天動説、自然発生説

中公新書、2018年2月刊  著者は、早稲田大学社会科学総合学術院の教授で、現代物理学や科学史についての多くの著作があります。科学の進歩・発展は、ある時代まで常識とされていた学説が、突然新説に置きかられるという、転機の連続として語られてきました。ところが実際には、捨てられたものがまた形を変えて蘇り、現代科学につながった事例が目立っています。

ニュートンが錬金術に深く嵌っていたことは、よく知られています。発覚したきっかけは、1936年のオークションでした。生涯独身だったニュートンの姪の娘が嫁いだ伯爵家から、ニュートンの膨大な手稿が売りに出されたのです。落札した経済学者ケインズが驚いたことには、その大部分は25年にも及ぶ錬金術研究で占められていました。数学や天文学は、ほんの一部だったのです。ケインズは、ニュートンを「理性の時代の最初の人ではなく、最後の魔術師であった」と形容しています。ところで錬金術が近代科学となったのは、1770年のラヴォアジェの、画期的な実験による定量分析でしたが、その実験装置は錬金術師が使っていたものでした。錬金術は、みずからの技術レベルによって自壊していったのです。

1869年には、メンデレーエフの周期律表が発表されました。新しい元素の発見が続き、やがて放射性元素が見つかります。原子物理学が生まれ、錬金術が再び夢でなくなりました。理研にいた長岡半太郎は、水銀ベースの錬金術は可能だとして、ネイチャー誌に発表しましたが、もちろん勇み足でした。しかしこれも後のニホニウムの誕生につながったのです。

天動説も地動説も、その根底にはどちらも中心にあるものは動かないという、共通する固定観念がありました。地動説は、長い間一般には広まりませんでした。理論ではまだ証明されず、動いている実感がなく、素朴な疑問が多かったのです。動かない地球を回る太陽に惑星が公転しているとして、複雑な計算をする折衷案まで出ました。決め手となったのは、ケプラーによる楕円軌道の発見でした。ニュートンは、その観測結果をもとに「プリンキピア」を発表したのです。しかし、電磁波が真空中を光速で伝搬することが確認されると、光速の基準として静止した絶対空間を想定することになり、かえって多くの矛盾が出てきました。

19世紀の物理学は一度ゆき詰まったのです。打開したのはアインシュタインでした。宇宙の物質やエネルギーの分布は一様で等方的と仮定して、重力場の方程式を導きました。

ところが、計算してみると宇宙は静止していないことになってしまいます。そこにハップルによる宇宙膨張の発見があったのです。アインシュタインは自ら宇宙項を取り下げました。

1998年に、また大きな発見がありました。パールマターらは超新星の観測から、宇宙は加速膨張しており、暗黒エネルギーが存在することを示したのです。古代ギリシャの天動説は、変遷を繰り返しながら発展を遂げてきましたが、また新たな課題に直面しています。

生物学は、19世紀に大きく発展しました。ダーウィンが「種の起源」を著し、パスツールは、「生物の自然発生説を否定する実験」、メンデルは「植物雑種の研究」と続きました。その後の大発見を加え、生物が進化して今日の多様な種が現れたのであれば、最初の原始生命の「親」は何か。生命科学は自然発生の謎を、あらためて問うことになったのです。「了」

カテゴリー: サロンの話題 パーマリンク