「歴史は実験できるのか」—自然実験が解き明かす人類史— 2023年4月7日 吉澤有介

ジャレド・ダイアモンド、ジェイムズ・A・ロビンソン編、小坂恵理訳
慶應義塾大学出版会、2018年6月刊
編者のダイアモンドは、カリフォルニア大学の著名な進化生物学者、ロビンソンは、ハーバード大学、シカゴ大学の政治経済学者で、訳者は、慶應義塾大学英米文学科卒です。
研究室の制御された環境で、実験者が直接コントロールする実験は、物理学や分子生物学などで、典型的な科学的方法として行われていますが、科学のなかでも操作実験のできない多くの分野があります。まず過去についての科学は、殆ど実験はできません。進化生物学、古生物学などはもちろん、天文学でも過去を操ることはできないのです。現実の世界を観察、描写して、新たな説明を創出しなければなりません。そこでこれらの歴史関連の学問では、自然実験あるいは比較研究法と呼ばれる方法が、広く行われるようになりました。
これは、異なったシステム同士を比較して、似ている点と異なる点を、統計分析なども加えて、その違いが及ぼす影響を研究する方法です。しかし人類史の分野では、要因があまりにも多く、複雑に絡んでいるために、自然実験には特別な注意が求められています。
本書では、世界の様々な地域を対象に、比較研究法による歴史の事例を紹介しています。ポリネシアの島々では、古代の単一の祖先が入植した島によって、大きく異なった歴史が展開していました。共通文化の上に社会組織、政治経済などに影響した要因を探っています。
ハイチとドミニカ共和国は、イスパニョーラ島という一つの島を分け合った境界についての自然実験でした。島の西側のハイチは、現在世界の極貧国の一つです。森林の99%が失われ、土壌侵食が深刻で、政府は国民に殆ど何もサービスできません。それに対して東側のドミニカは豊かです。森林の28%が保全され、アボカドの輸出量は世界第3位、プロ野球で名選手を輩出し、一人当たりの収入はハイチの6倍に達します。それには植民地時代の歴史がありました。最初はスペインが島を統治しましたが、1600年代にフランスが島の西側を奪い、アフリカで買取った多勢の奴隷を入れて、帰りの船で伐採した木材を本国に運びました。人口の85%が奴隷で、国は豊かになりましたが、それは初めのうちだけでした。奴隷の反乱が続き、言葉もフランス語でなく、奴隷語のクレオール語になったので、世界からは孤立して、国土はすっかり荒廃してしまったのです。一方スペインは、メキシコやペルーを征服して、そちらの経営に力を入れたので、島の東側の統治はゆるく、奴隷は僅かで人口も少ないままでした。言語はスペイン語なので、1800年代の独立後には、ヨーロッパからの投資が盛んになり、大統領は私服を肥しながらも、国全体は豊かになってゆきました。一つの島で、環境は殆ど同じなのに、文化、経済、政治で大きな違いが出たのです。
フランス革命の拡大による自然実験では、革命後のフランス軍は、侵略先の各国で従来の制度の改革を進め、絶対君主、貴族、教会などの特権階級を解体し、封建制度を終わらせて現代への道筋をつけました。しかしその経済的遺産の評価については。ドイツなどで侵略を受けなかった地域もあって、改革による攪乱についての統計による系統的な研究が現在もなお論議されています。自然実験は、歴史学に新しい視点を提供していました。「了」

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