「雪と人生」中谷宇吉郎著、角川ソフィア文庫、令和3年12月刊 2022年3月7日 吉澤有介

著者はあらためてご紹介することもないでしょう。雪の結晶を人工的に作って世界を驚かせました。1900年、石川県に生まれた物理学者です。東京帝国大学理学部物理学科卒で、寺田寅彦に師事し、理化学研究所で寺田の助手になりました。イギリスに留学したのち北海道帝国大学理学部教授として雪の研究を行いました。師の寺田寅彦と並ぶ名随筆家としても知られていますが、その科学観は師と同じく時代を超越して、現代の生命科学や複雑系の科学にも通じる新しさがありました。本書は、1977年に刊行されたものの嬉しい再刊です。

本書には16編のエッセイが載っていて、いずれも滋味あふれる名作ですが、ここはやはり「雪を作る話」と「雪雑記」を取り上げることにしましょう。雪の結晶については、早くから吹き曝しの北大の廊下に有り合わせの顕微鏡を置いて覗き、世の中にこれほど美しいものがあることに感動していました。しかもほとんど誰の目にもふれずに消えてゆくのがいかにも惜しい。もしこれが実験室で作れたら、ずいぶん楽しいだろうと考えたのです。

雪の結晶は、高層の極めて温度の低いところに、水蒸気が凝結したものですから、それを真似て、いろいろと試行錯誤を繰り返してみたが、どうもうまくゆきません。やはり天然の結晶は美しい。そこで十勝岳の中腹にあるヒュッテにこもって、天然の結晶を写真に撮ることにしました。雪の降る日は結晶の写真を撮り、晴れた日は仕方ないから、皆でスキーをやるのです。標高1100mの雪山は、羽毛のようなパウダーでした。計画は見事に成功して写真の腕も上がり、ネイチャーに発表すると、イギリスの雪の権威から問い合わせがきて、写真の撮り方を教えたり、結晶の型の命名で論争するなど、思いがけない反響がありました。

しかし冬の十勝岳での研究は、身体にこたえる厳しいものでした。丁度その頃、北大に―50℃まで冷せる低温室が導入されました。これなら物理的な細かい条件での実験ができます。ところがこれもたいへんな作業だったのです。実験はマイナス30度付近でやりましたが、夏場には外界との温度差50℃を超えます。元気な学生たちに実験をまかせても、どうしても自分の目で見たくなる。ついにウサギの毛の先に結晶を作れるようになりました。

雪の結晶は、すべて気温と水蒸気の量で決まります。しかし、その関係は極めて複雑微妙なものでした。僅かの変動や時間によって、全く違った結晶になるのです。条件を変えて様々な結晶を作りました。ウェゲナーがグリーンランドの氷河で見たという、洋酒のコップ型の結晶までできてしまいました。学生たちは面白くて、次々にレポートを出すので、机の上が山になりました。これではたまらず一時休戦を申し出ても、誰も怠けてはくれません。せっかく卒業させても、また新しい学生が実験を始めます。研究とは因果な商売でした。

結晶ができる条件は掴めましたが、結晶内部の微細構造まではよくわかりません。正面の写真だけでは、内部が見えないのです。そこで結晶の断面を見ることにして、安全カミゾリの刃で挑戦し、苦労の末についに断面撮影に成功しました。一見不可能に見えても、必ずできると思ってやれば、たいていのことはできるのです。寒い日に苦労した研究ですが、役には立ちそうもありません。しかし、こんなに面白い研究ならあってもよいでしょう。「了」

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