「イヴの七人の娘たち」ブライアン・サイクス著大野晶子訳、河出文庫2020年2月刊 2022年3月5日 吉澤有介

         遺伝子が語る人類の絆

著者は、オクスフォード大学名誉教授です。人類遺伝学の国際的権威で、古代人骨のミトコンドリアDNAを解析して、人類の系図を見事に解明しました。本書は、2001年に単行本として刊行され、2006年に文庫となり、今回若干の修正を加えて再刊したものです。

1988年、オクスフォード大学分子医学研究所の遺伝学教授であった著者は、近くの遺跡から古い人骨のミトコンドリアDNAを、世界で初めて抽出して、論文を「ネイチャー」に発表しました。ちょうどその前年に、アメリカの進化生化学者のウィルソンらの「ミトコンドリアDNAと人類の進化」が、同じ「ネイチャー」に発表されて、母系のみに伝わるミトコンドリアDNAを辿れば,人類の祖先に行き着くこと、突然変異のプロセスで時間までわかるという、画期的な「ミトコンドリア遺伝子ツリー」論文が、脚光を浴びていたところでした。現代人の共通祖先は、15万年前のアフリカに生きていました。著者の古い人骨からのDNA抽出技術は、その人類の過去を具体的に解明できる貴重なツールになったのです。

著者は、1991年にアルプスの氷河で5千年前の遺体が発見され、「アイスマン」と呼ばれたDNAの鑑定を依頼されました。その結果、アイスマンは現代ヨーロッパ人の祖先であることが確認されました。しかもそのDNAは、著者のアイルランドの友人と一致しました。彼女は親戚だったのです。さらにこの年、ロシア革命で処刑された皇帝ニコライ二世らの墓が発見されました。著者は存命中の母系親族のデンマーク女王を通じて、その遺体のDNAがロマノフ家のものと確認しました。これまでのロマノフ家についての謎が、きれいに解けたのです。また思いがけないことに、皇帝のDNAは何と著者と完全に一致していました。

ヨーロッパ人の祖先については、ネアンデルタール人の名残があるのか、クロマニヨン人との交代の実状は、まだ謎として残されています。(本書の後で僅かの交配が確認された)

しかしもう一つ大きな謎がありました。ネアンデルタール人を絶滅に追い込んだ狩猟採集民クロマニヨン人が、1万年前の農耕革命を起こした中東からの農民に、一気にとって代わられたという説です。しかし著者は、すでに多くのDNAデータを持っていました。交代劇ではなく、2割程度の侵入があっただけと確認していました。DNAは組換えで変わるとする根強い反対論がありましたが、データ検証であらためてDNAの信頼性が確立しました。

著者はさらに、1万年前の洞窟から出た農耕以前の人の歯の化石のDNAを調査しました。チエダーマンと呼ばれるその化石のDNAを、周辺の現代住民と照合すると3人が一致し、うち一人はこの土地の領主バース卿の執事でした。彼は領主より古い家柄だったのです。

その後の10年の研究で、ヨーロッパに暮らす6憶5千万人の母系祖先の遺伝的繋がりがわかってきました。僅か7人の女性に行き着いたのです。アースラ、ジニア、ヘレナ、ヴェルダ、タラ、カトリン、そしてジャスミンと名付けました。著者自身はタラの末裔でした。最終氷期をイタリアで凌いだ彼女らは、暖かさの戻った海沿いにフランス、そして北ヨーロッパに移動してゆきました。彼女らのほかは母系が途絶えたのです。さらに遡った祖先の系図も明らかになっています。アフリカの「ミトコンドリア・イヴ」が、世界の母でした。了

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