「食べられないために」ギルバート・ウオルドバウアー著 2021年9月8日 吉澤有介

     逃げる虫、だます虫、戦う虫

中里京子訳、みすず書房、2013年7月刊

著者は、イリノイ大学の昆虫学学科の教授、現在は名誉教授です。鳥の生態にも詳しく、「虫食う鳥、鳥食う虫」青土社2001、「虫と文明」築地書館2012などの著書があります。

動物はみな、食べなければ生きてはゆけません。子孫を残すこともできないのです。一方食べられる側にとっては、文字通りの死活問題ですから、この食べるものと食べられるものとのせめぎあいは、生物の共同体における最も重要な出来事といえるでしょう。

陸地と淡水に棲む肉食生物にとって、最も豊富な動物性食物源は昆虫です。昆虫を食べるナゲナワグモは、メスの蛾がオスを引き寄せるためのフェロモンに似た匂いを発信して、近くにきたオスの蛾に、先端がネバネバした玉をつけた糸を投げつけて獲物を捕らえ、引き寄せてかぶりつきます。ウスバカマキリは、見事にカモフラージュしてじっと動かず、通りがかりの昆虫を一瞬で捉えます。鳥類の戦術もさまざまで、ムシクイは、枝から枝を飛び回って葉を調べ、素早くイモムシを見つけ出します。アナホリフクロウは、巣穴の周りに馬糞や牛糞を播いて、糞虫を呼び込んで食べていました。キツツキ類は、硬い嘴を高速連射し、嘴の5倍の長さの舌で虫を捉えます。頭骸骨が振動を吸収する構造を備えているのです。鳥類は、ほとんどの種が昆虫を食べていますが、それぞれが専門の昆虫を食べ分けていました。

虫のほうも、やすやすと食べられてはいません。逃げ、隠れ、騙し、さらに戦うまでして、逞しく生きてきました。変態は有力な戦略です。昆虫のメスは、決まった種の植物だけに一個または複数を目立たぬように産み付けます。孵った幼虫は、地面に落下して土の中に深い穴を掘り、安全に育ちます。やがて決まった食草を食べてサナギになりますが、その間は隠れるしかありません。それも巧妙で、アゲハ蝶の幼虫は、鳥の糞に擬態していました。

しかし成虫になれば、活発に動いて花蜜を探り、相手を見つけ、交尾して子孫を遺さなければなりません。数多くの捕食者に身を曝すリスクが格段に大きくなります。相手より危険を早く察知して、まずは逃げることでしょう。ゴキブリは、全身に早期警戒システムを張り巡らせています。その逃げ足の速さは、体長の比率で推定すると105㎞/hにも達しました。

隠れる戦略としては、夜行性の蛾が樹木の肌に溶け込む例が有名で、樹皮の裂け目に翅の柄を合わせるという芸の細かさまで見せてくれました。多くの動物には縞模様があります。これは分断色と呼ばれ、体の輪郭を寸断する働きをしています。周囲に溶け込んで擬態した場合は、動かないのが一般的ですが、逆に動くことで効果を挙げているものもいます。インドのコノハチョウは、ゆっくり揺れて風に吹かれる枯れ葉にそっくりでした。

しかし隠れるにも限界があります。そこで相手を一時たじろがせて、ひるんだスキに逃げる手がありました。ヤママユ蛾のある種では、後翅に大きな目玉模様があって相手を驚かせます。尻に目玉模様をもつ虫もいます。頭を狙う捕食者の攻撃を逸らして逃げるのです。

戦う凄い虫もいました。ホソクビゴミムシは、化学的・物理的手段を駆使し、沸騰する有毒のベンゾキノンを体内で生成して噴射します。進化の妙には驚くばかりでした。「了」

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