「ひとり旅の楽しみ」高坂知英著 2021年5月20日 吉澤有介 

 

中公新書、昭和51年(1976年)11月刊

著者は、1917年(大正6年)福岡県に生まれ、大阪帝国大学理学部物理学科を卒業して、三菱電機研究所に入り、1952~1977年には、自然科学系図書の編集に従事しています。

旅をこよなく愛し、出張もあって毎年のように海外に出かけ、また国内も隅ずみまで歩きました。常に好奇心に溢れて、存分に旅を楽しみ、「旅は人生そのもの」と考えています。

旅には「夢」と「発見」があります。著者は、旅の味わい方を語りながら、同時に宿選びのコツ、見物の工夫、案内書や資料の集め方と読み方など、体験的な知恵を生かした具体的な旅行術を縦横に語っています。その著者の旅は、驚くほどユニークなものでした。

旅には宿がつきものです。しかし著者は原則として予約しません。予約は、必要がないばかりか、旅の自由を奪うという、あまりにも大きなマイナスがあるからです。予約して最も困ることは、どこかで狂いが生ずると、次々に波及して、本来の旅の目的まで怪しくなることさえあります。実際に、予約しなくて困った経験は、殆どありません。ただし、それなりの知恵は必要です。混み合うシーズンでは、季節か場所をずらすのです。年末年始に信州の飯田で、最高の宿に泊まったことがありましたが、客は著者一人だけでした。スイスの有名な観光地ザースフェーに夕方着いたら、宿は高額だったので、3㎞ほど戻った山村の、民宿のような小ホテルに泊まりましたが、その一夜のすばらしさは、今でも忘れられません。

ヨーロッパは安宿がお薦めです。「一日5ドルのヨーロッパ」という本がありました。楽しい旅は、安い宿に限る。それはどこでも見つかる、というのです。後に日本語版も出ましたが、その時は一日10ドルになっていました。それでも安い。また安くなければ、旅の醍醐味がありません。著者はよくクルマで旅をしますが、どの村でも必ず民宿がありました。清潔かつ個性的で、殆どが、おばあさん一人で、趣味のようにやっています。イギリスのB&Bには、家族で数週間も滞在することも、ごく当たり前のことでした。日本の民宿では厚労省の縛りで、とてもこうはゆきません。残念なことです。東欧のポーランドやチエコでは、町の表情は複雑でしたが、プラハなどの美しさは格別で、強い印象が残っています。

ドライブで最も感動したのは、ヅルゴーニュ地方でした。中世そのままのレストランの味は最高で、ヴェズレーの丘のマドレーヌ教会のロマネスク美術に圧倒されました。都市ならイタリア中・北部でしょうか。「町自身が美術館」でした。ドイツの古都巡りでは、戦災以前への復元に驚きました。著者の、レンタカーの鮮やかな使い方は、実に懇切丁寧です。

各地の隠れた美術館を訪ね、ホールで音楽会を楽しみ、切符の買い方までも実践的です。

著者は、また日本の平安・中世の仏像を、東北や北陸・山陰に訪ねました。現地の草や森に埋もれた古寺の秘仏を詣で、ロマネスク巡礼の印象に重ねて、深く考え込んでいます。

著者の、この旅好きの発端は、中学2年のある朝、指のケガから急性腎臓炎となり、医師であった父から、1年間の絶対安静を命じられたことでした。ベッドの生活で少年の空想は、日本各地や世界の国々に広がってゆきます。習いたての英語で、各国にパンフやポスターを請求したら、山のように集まりました。その夢の海外旅行が、現実となったのです。「了」

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