「IT全史」中野 明著 2020年8月10日 吉澤有介

情報技術の250年を読む       祥伝社20177月刊          

 著者は、1962年生まれのノンフィクション作家で、同志社大学理工学部情報システムデザイン学科の非常勤講師をしています。歴史・経済経営・情報の3分野で幅広く執筆し、「サムライ、ITに遭う幕末通信事始」(NHK出版)など多数の著書があります。

 総務省が毎年発行する「情報通信白書」に初めてIT が特集されたのは、平成12年版(20006月)のことで、同年11月には通称「IT基本法」が成立して、情報技術としてのITが一般にも大きな話題になりました。
情報という語の初出は明治9年(1876)、元陸軍武官の酒井忠恕が、フランスの軍事書の翻訳の際に創出したものですが、1960年代に入ると民族学者の梅棹忠夫は、世界に先駆けて情報を社会や経済に重要な役割を果たすものとして「情報産業論」を提唱しました。専門とした生態学をもとに「文明の情報史観」を展開したのです。著者は強く刺激されて、本書で「情報技術の生態史観」を目指しています。

 近代的情報技術の変遷を探ってゆくと、1789年のフランス革命に端緒がありました。警戒した周辺諸国がフランス国境を囲んだため、革命政府は国境警備の軍隊との緊急の連絡に迫られ、「腕木通信」と呼ばれる情報通信技術を開発したのです。柱の先端に3本の腕木を組み合わせた装置を取り付けて信号の基地とし、それを約10kmおきに設置しました。通信士が腕木の形を人手で種々変化させて信号を発信すると、次の基地が望遠鏡で見て、その信号を隣の基地にリレー式に伝えてゆきます。当時はまだ電気はなく、すべてが人力で行われる視覚による通信技術でしたが、その成果は目覚ましいものでした。フランスはこのネットワークを全国に展開し、60年間で累計距離は5769kmにも及んだといいます。その完成度は高く、産業革命で生産と流通が拡大し、遠距離地域への情報伝達ニーズの高まったイギリスや各国も、これを直ちに採用して19世紀の半ばまで世界で広く運用されました。

 「腕木通信」の実体は、それぞれの形を符号としたデジタル方式でした。バケット方式にタグの概念もあり、本質的に現代のインターネットとも技術的共通点を持っていました。さらに。小説「モンテ・クリスト伯」では、ネットワーク犯罪がすでに横行していたのです。

 やがて情報通信は、電気を使った電信へと、新たな段階への遷移を開始します。本書ではその後の電気通信技術の進展を、臨場感豊かに追跡してゆきます。モールスの電信は、国家だけでなく民間の事業となり、一般に開放されました。海底電線は世界を結び、通信社の活躍で、社会生活まで変わってゆきました。天気予報、標準時間などが次々に誕生します。

 1876年のベルとグレイによる電話の発明は、そのサービスの事業化。放送システムへの展開へと、大きな成功を収めました。さらに1896年のマルコーニの無線電信技術は、ノーベル物理学賞となります。その実用化は速く、タイタニック号の遭難で世界に知られました。マルコーニ一家もタイタニック号に招待されていましたが、予定が変わって危うく難を免れたのです。当時そのSOSを受信したサーノフは、後にRCAでテレビ時代を拓きました。

 19世紀のデジタル技術は、20世紀にアナログ技術を全開させ、21世紀に新たなデジタル時代へと遷移して、ついにインターネットの時代を迎えます。意欲的な大著でした。「了」

 

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