感情、意識、創造性と文化の起源 高橋洋訳、白揚社2019年2月刊
著者は、南カリフォルニア大学教授で、国際的に活躍している著名な神経科学者です。本書では、その専門の脳科学・神経科学の領域をはるかに超えて、細菌のような単細胞生物から人類の文化、社会の成立までの進化の過程が、どのような順序で出現したかを克明に検討しています。著者の、これまでの研究の応用集大成ともいえる大著でした。
生物の進化をみると、早くも1億年前には数種の昆虫が、人間の社会と比べても文化的ともいえる行動を発達させていました。さらに遡った単細胞生物でさえ、人間の社会文化的な行動に似た動きを見せていました。私たちの持つさまざまな社会的特徴は、生命の歴史の初期のころにはすでに出現していたのです。人類の登場を待つ必要はありませんでした。
これまでは、生命活動を改善できるほどの高度で複雑な社会的活動などは、人間に近い高度に進化した生物の心からしか生まれないという見方とは明らかに矛盾します。
たとえば一般的に人間の知恵や成熟度によるとみられている協調的行動も、細菌同士のせめぎ合いに便宜的な盟約が取り交わされています。彼らに賢い心があるわけでもありませんが、ミトコンドリアなどの複雑な細胞器官も、そのような取引で誕生したのです。
著者は、この生物に最初に現れた根源的行動規則のすべてが、「ホメオスタシス」(生体恒常性)に由来するといいます。それは生命の根幹にかかわる一連の基本的な作用で、思考も言葉もいらない「何があっても生存し、未来に向かおうとする欲求を実現してゆくための、さまざまな生命作用の調節プロセスの集合」として、「ホメオスタシス」がなければその後の進化はなかったというのです。順序でいえば、「ホメオスタシス」→全身体システム→その内分泌系、免疫系、循環系、神経系への分化→神経系によるイメージ形成能力の獲得→感情→主観性→意識→文化(言語も含む)となります。とくに感情は、無意識のうちに身体と神経系に作用します。感情は意識より早く生まれた「ホメオスタシス」の心的表現なのです。
そこで著者は、AIやロボット工学を取り上げます。生物や人間に似せたロボットは、賢い行動プログラムで効率的、経済的効果を挙げますが、かれらには感情がありません。感情の代わりに微笑みや叫び、ふくれ面などの表情を組み込むことはできますが、それは人形劇のようなものです。ロボットで感情を構築するには生体が必要で、個々の生体自身が持つ独自の視点と感情が絶対的に必要なのです。ビッグデータ処理で、ある程度の人間に似た行動をとる可能性はありますが、それにはまだかなりの時間がかかることでしょう。
人間の本性には、二つの世界があります。一つは自然によって与えられた生命活動の調節の規則で、痛みや快の見えざる手によって導かれるものですが、もう一つは文化的な生命活動管理方式によるもので、遺伝子の働きを超えた理性で環境に対処します。しかしその能力は、いまだに不完全で危ういのです。自発的なホメオスタシスと対立して破壊を招いたりします。理性や思考能力が進化する以前に、前提条件としての感情が進化する必要があったことを、正しく認識しなければなりません。そこに諸問題解決のヒントがありました。「了」
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