光文社新書2012年4月刊 著者は、1980年テヘラン生まれ、10歳の時、父と来日、北海道帯広に住み、東海大学を中退して、吉本興業の漫才タレントになりました。現在テレビで活動の輪を広げています。
本書では、日本のメデアも知らないイラン人の日常を、楽しい語り口で伝えています。国際政治を離れてみると、彼らはみな日本が大好きの、陽気で楽天的な人たちでした。
イラン人はイスラム教なので。喜捨、礼拝、証言、巡礼、断食の五つの義務があります。「喜捨」は、「富めるものが慈悲の心で貧しいものに与えよ」とあるため、街には物乞いが溢れ、中には月収14万円も稼ぐのがざらにいます。これはイランのサラリーマンの最低賃金の5倍にもなりますが、施しを受けるのが当然と、でかい態度で豪遊しているから驚きです。「礼拝」は、大多数のイラン人はシーア派なので、一日3回(夜明け、正午、夜)で済ませます。それでも真面目にやる人はあまりいません。それは「証言」で、礼拝のとき「アラーの神は唯一偉大な神で」と唱えることを、生まれたときから徹底的に刷り込まれますが、何ごともアラーの意志ですから、こんな便利な言葉はありません。テストが0点でも、遅刻しても、相手を殴っても、すべてアラーの思し召しで、言い訳できるのです。
「巡礼」の代表は聖地メッカのカアバ神殿に礼拝にゆくことで、毎年300万の教徒が訪れ、三日間もかけて修業するので、死人も出る騒ぎになります。イラン人は便器でも、メッカにお尻を向けません。「断食」は、ラマダン月の日の出から日没まで、一切の食物も水も取ってはならず、これがきついのです。夕方になるとケンカが多くなり、とくに水が欲しくなります。そこでやたらに顔を洗うのですが、実はこっそり水を飲んでいるのです。また妊婦は免除なので、著者の従姉などは、おなかを毛布で膨らませて、チョコを腹いっぱい食べていました。
食習慣での最大のタブーは、豚肉です。著者は来日してすぐ、学校の先生にご馳走になりました。あまりのおいしさに驚愕して聞いたらトンカツでした。あとの祭りでもう天国には行けません。しかしこのおいしさを父にも味わせたい。父も大満足。そこで何の肉と聞かれて、とっさにムササビだよと答えました。父は、2年後他界するまで信じていました。お酒も禁止ですが、日本帰りのイラン人は、誰もが揃って「ラクダよりキリン」といいます。
イランの都市には大規模のバザールがあります。こどもたちはそこで交渉術を学びます。親は大体のおカネを渡し、値切った余りをお駄賃にやるので、必死に限界まで粘るのです。
イランの女性はたいへんです。チャドルを着てベールをかぶり、目だけ出します。ベールを取って顔を出すのは、下着を脱ぐことと同じなのです。一人で外出してもいけない。子どもが母親とはぐれると、どれが母親かわからず、迷子になってしまいます。一夫多妻は、戦争で夫をなくした女性の救済策でした。しかし4人の妻を持つ夫もたいへんです。
イランでは恋愛は法律で禁止されています。結婚は親同士の見合いに限られる。それではまずいと政府も、公式HPで結婚適性テストを実施しましたが、効果はありません。禁欲の宗教のせいですが、うまい手もありました。おカネを払うと聖職者風の男が立ち合い、結婚式を挙げます。そして30分後に今度は離婚の儀式をします。これ、どこかおかしいですね。「了」