「生きものの世界への疑問」日高敏隆著 2019年7月25日 吉澤有介

朝日文庫2018年1月刊 著者は1930年東京都生まれ、東京大学理学部出身の動物行動学者です。東京農工大学・京都大学教授、滋賀県立大学長などを歴任し、09年に逝去しました。多くの著書があり、軽妙なエッセイでも親しまれています。本書は91年に朝日新聞社から刊行されました。

チョウはなぜ決まった時期に現れ、なぜヒラヒラと舞うのでしょうか。近代科学では、この「なぜ」という問いを禁じ、「どのようにして」だけを追求することにしています。しかし私たちには、どうしても疑問が残ります。著者の想像力は、軽やかに弾んでいました。

春になるとチョウが美しく舞い出てきます。それは種類によって時期が決まっているのです。あたりまえのようですが、考えてみれば実に不思議なことです。春の女神ギフチョウは、必ず早春に現れてカタクリの花にとまります。なぜこの時期なのでしょうか。ギフチョウは卵をカンアオイの葉に産み付け、黒い毛虫の幼虫がうまれて、カンアオイの葉を食べ、6月のはじめにサナギになります。そこで休眠して夏を越し、年末ころにチョウの形をつくりますが、硬い殻の中でそのままじっとして寒い冬をやり過ごします。冬が終わるころ、サナギの殻を溶かす液体が分泌されて、カレンダーどおりに女神が現れるのです。ところが冬にサナギを暖めてやると死んでしまいます。寒さは必要条件でした。それでは夏の暑さはどうか。脳のホルモン分泌が暑さで抑えられ、成長をきちんと年末に合わせていました。

チョウの行動は、よく温室で飼育して観察、研究をしますが、これが意外に難しいのです。チョウは、花には見向きもしないで天井に張り付き、翌日にはみな死んでいました。その理由は、空気が動いていないためだったのです。野外では必ず空気の動きがあります。チョウは、そよ風がないと生きられない。なぜかはわかりませんが、それが彼らの世界でした。

さて、動物はなぜ「動物」になったのでしょうか。それは「エサ」を食べるからでした。エサを食べない生きものが、植物になったのです。植物は、太陽エネルギーで生きています。光エネルギーを化学的エネルギーに転換するためには、水と二酸化炭素が必要です。多くの光を浴びるために葉を広げ、空中から二酸化炭素を取り入れましたが、水は地中から根で吸い上げることにしました。光と二酸化炭素は高いところが良く、根は地中の深いところとなると、それを支持する幹は丈夫で動かないものになります。そこで植物が生まれました。

動物はといえば、出来合いの有機物を食べて化学的エネルギーを利用しますが、いつでもあるとは限りません。動きまわるしかないのです。また消化器官が必須のものとなりました。同時に光を情報として利用することにしました。目が誕生したのです。敵を見つけ、エサを探します。音や匂いなどの感覚も生まれました。これは植物にもありますが桁が違います。

また体内時計は動物も植物も共通な感覚です。昼夜の長さがなぜわかるのでしょうか。実は、植物も動物も昼よりも夜の長さが重要らしいのです。これはヒトの恋でもおなじかな。

著者は、さらに動物たちの自意識を探ります。動物にも言語があり、動物に何かの思考があることは否定できません。ただ「死」だけは人間の発見でした。しかし、動物の世界では「死」が日常で、「生」は奇跡なのです。そして死は「生」の始まりでもありました。「了」

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