「チベット仏教入門」吉村 均著、ちくま新書2018年11月刊  2019年3月13日 吉澤有介  

- 自分を愛することから始める心の訓練 -
著者は東大大学院人文学研究科の博士課程を終えて、チベットの諸師から顕密の教えを学びました。専門は日本倫理思想史、仏教学で、多くの著書があります。

チベット仏教はいま世界的に注目されるようになりました。とくにその生と死の教えに関心が寄せられています。チベットでは古い形の仏教を残しており、それが現代の諸問題に対応できるというのです。しかしチベット仏教としての、特別な仏教があるわけではありません。仏教徒の定義は、三宝(仏・法・僧)に帰依していることで、その最大の聖地は、お釈迦様が悟りを開かれたインドのブッダガヤです。そこには世界各国の寺院が、それぞれの国の様式で建てられていますが、どれもみな同じ道を目指しており、それが仏教という「道」の特色なのです。一切衆生を苦しみから救うのが菩薩の目的で、一切衆生には様々な気質の者がいるので、それぞれに合わせた多様な姿をとる必要があるというのです。

かって日本では、チベットの仏教を「ラマ教」と呼んでいました。これはチベットを訪れたキリスト教の宣教師が、キリスト教が創造主の命に従う「神教」であるのに対して、仏教は師である仏陀の教えで、自身も「仏」になることを目指す「先生教」であることからラマイズムと呼んだためでした。確かにラマを崇拝していますが、これも仏教の様式なのです。

チベット仏教の特色の一つに「活仏制度」があります。高僧が亡くなると、生まれ変わりの少年を探し出して、その地位を継がせるもので、現在のダライ・ラマはその十四世です。これは仏教にある「輪廻」の思想からではなく、歴代のラマが観音菩薩の「化身」とされていることなのです。チベットの教えは大乗仏教で、ことあるごとに利他が協調されます。それにはまず自分が今、人間として生まれて教えを受けていることが、いかに幸運で得難いことかを理解して、その「心の本質」が一切衆生にも備わっているのが見えることで、はじめて真の「利他」が実践できるといいます。100%満足していなくても、自分は今生きているだけでも恵まれているという、自分に対する肯定的な感情が、仏教の実践の出発点で、無我の教えも利他の教えも、その感情を拡大するためのものなのです。自分にないものに目を向けるのではなく、自分が持っているものの価値に気づくことこそが心を満たすのです。

ダライ・ラマ法王は、仏教の目的を、「幸せになることだ」といいます。キリスト教徒に対して、神による世界の創造を認めるならば、他の人々も自分と同じく神によって創造されたものだから、自分と同様に大切に扱い、その幸せを願うべきなのだと説いておられます。私たちは、果てしなく生まれ変わりを繰り返しているので、どんな生きものでも、かっては自分を育ててくれた親かもしれません。その深い恩を考えなければならないのです。

チベット仏教には「死者の書」があり、死者の意識の中間領域(バルド)として、①死のバルド、②法性のバルド、③再生のバルドを挙げています。意識が解体した瞬間、「心の本質」が現れるのです。これは死と再生だけではなく、あらゆる瞬間に私たちの心に展開されています。瞑想は、心を我が家に帰し、解き放ち、くつろぐことで、心の安らぎを取り戻すのです。本書は、チベットに今も残る仏教の、豊かで深い心の世界を見せてくれました。「了」

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