「虫と日本人」—幕末~昭和戦前期の昆虫文化史-2026年2月15日 吉澤有介

保科英人著、三弥井書店、2025年10月刊   著者は昭和47年生まれ、九州大学大学院農学研究科で農学博士。現在は福井大学教育学部教授、専門は昆虫分類学。主な著書に「大衆文化のなかの虫たち 文化昆虫学入門」(論創社)(共著)、「近代華族動物学者列伝」(勁草書房)などがあります。
日本人は、古くから虫に深い関心を寄せてきました。「枕草子」や「源氏物語」にも貴族の話題として取り上げられ、江戸時代には、庶民に至るまでさまざまに論じられてきました。
しかし、明治以降の近代になると、昆虫観は変わらないはずなのに、ほとんど記録には残っていません。著者は、この幕末から明治、昭和の戦前までの近代の昆虫文化に注目しました。
その手掛かりとなったのが、新メデアとして登場した新聞記事でした。たまたま読んだ明治期後半の都新聞の復刻販に、「虫相場」のコーナーを見つけました。当時の新聞は情報量が増えて、発行部数も増大し、「虫相場」までが載るようになっていたのです。著者は全国紙から地方紙に至るまで情報を収集して、「鳴く虫」や「ホタル」の価格を一覧表にしました。
虫売り商人の「鳴く虫」の相場は、種により、また年毎にも大きく変わりますが、明治33年のスズムシは5銭、マツムシ7銭、クツワムシ10銭、カンタンも10銭でした。当時の新聞代は1,5銭、大工の日当は1円で、令和の現代では、大工の日当はほぼ2万円で、貨幣価値は約2万倍になっています。現代のスズムシは、300~500円ですから、ほぼ同じレベルでしよう。スズムシが安いのは、江戸期以来の養殖技術によるものでした。
カンタンは玄人に人気がありました。鳴く虫は一般に甲高い音で鳴きますが、カンタンは「ルルルルル」と低音で好まれたのです。とくに昭憲皇太后がお気に入りでした。飼いにくいので次第に値上がりして、大正末期には、大工の日当に並ぶほどになりました。
アオマツムシは中国原産の外来種で、今は全国の公園で「リューリュー」と鳴いています。捕らえにくいことから高値になり、昭和2年には50銭でした。このころ島津公爵家が初めて養殖に成功し、最後の藩主島津忠義は、虫籠まで自作して、華族などに贈呈していました。
「ホタル」も、日本人には古くから親しまれてきました。その代表は水棲のゲンジボタルとヘイケボタルで、「ホタル狩り」は上下を問わず人々の初夏の年中行事になっていました。近代では、大正6年(1917)、元老の山県有朋が80歳の誕生日を迎えて、椿山荘に集まったお祝いの客の前で、3000頭のホタルを放しました。当時の一般のホタル狩りは、文字通りホタルを捕らえる遊びであり、各地のホタルの名所では乱獲が進みました。値段もスズムシの十分の一ほどでした。新聞社や百貨店の企画するホタル狩りが盛んで、大正9年には、来日したルーマニアの皇太子をホタルで歓待しました。外交に使われた最初の記録です。
しかし、戦場では多くの兵士が戦死した地に飛ぶホタルが、人魂のようにみえたといいます。特攻隊員の一人が出撃の前夜、食堂のおばさんにホタルになって帰ってくるよと、冗談のように告げていました。翌日の夜の9時ころ、食堂の玄関から一匹のホタルが入ってきて、天井にしばらく止まりました。居合わせた特攻隊員たちが話を聞いて驚き、全員で「同期の桜」を歌ったら静かにいなくなりました。この話はアニメにもなっています。「了」

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