「出雲神話の正体」—封印された古代の深層–2026年1月10日 吉澤有介

関 裕二著、河出書房新社、2025年2月刊 著者は1959年千葉県柏市生まれ。お馴染みの歴史作家、在野の古代史研究家です。
現在は武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャル・アカデミック・フェロー。著書に「アマテラスの正体」、「スサノオの正体」「古代史の正体—縄文から平安まで」(新潮新書)、「応神天皇の正体」(河出書房新社)など多数があります。
「出雲神話」と「出雲大社」など、出雲はナゾに満ちています。「日本書紀」には、大きく分けて「国土と神々の誕生」、「出雲の国譲り」、「天孫降臨」の三つの神話があり、その後に「神武東征とヤマト建国」が、出てきます。古代の歴史を、説話にしたものでしょう。しかし、ここには出雲と日向しか出てきません。なぜ他の地域が出てこないのか。考古学では、この弥生時代に、すでに北部九州や、瀬戸内、北陸、東海などに、大きな勢力が存在したことを明らかにしています。なぜ出雲だけなのか。
また神話も不自然です。せっかく国を譲ってもらったのに、天孫は遠い日向に降臨して、神武ははるばる東征しました。「出雲風土記」は、記紀と同時代の地誌ですが、「出雲の国譲り」は全く出てきません。大国主命も出番がなく、影が薄いのです。

これは「日本書紀」の編者が、ヤマト建国の歴史を熟知しながら、真相を隠すために、各地の出来事を出雲の神話に、仕立てたものに違いない。建国に貢献した多くの氏族を消し去り、巨大な出雲大社を建てて、偽神話のアリバイとしたのでしょう。
「紀」では、出雲の大物主神は早くからヤマトにいたが、邪悪の神として天皇家に追われます。しかし、神武以来三代が、出雲の神の娘を正妃に迎えたとありました。それなのになぜ崇神は、災害を大物主神の祟りと思い込んで、出雲を恐れたのか。
考古学は、出雲に銅矛と銅鐸を持つ、強大な勢力がいたことを明らかにしました。四隅突出型墳丘墓が特徴的で、北部九州とも結んでいましたが、纏向に参入しました。しかし、纏向には東海や吉備がいて、前方後円墳をつくっていました。出雲は遅れたのです。その後なぜか急速に衰えてゆきます。纏向の政争に敗れたのでしょう。
出雲大社がいつ出来たかも、大きなナゾです。出雲臣が祀っていた神宝を奪ったという話がありますが、大社とは限りません。天穂日命を租とする国造家が祀っていたのは、スサノオ?を祭神とする熊野大社で、こちらが出雲一宮でした。律令で国造が消えてゆく中で、出雲国造は和銅元年(708)頃に下位の杵築大社を兼務し、延暦17年(798)に専任となっています。巨大な出雲大社の創建は、「日本書紀」編纂前後の可能性があります。「出雲国風土記」は、天平5年(732)、国造の出雲臣広嶋が編纂しましたが、国譲りは出てきません。藤原不比等は、出雲神話をでっち上げて、巨大建築をつくり、無理やり国造に祀らせました。あまりにも異常な神事が多いのです。
父鎌足(実は百済王子)は、出自を中臣としたが、祖が天児屋命では格が低い。不比等は、タケミカズチを国譲りに活躍させて租神とし、春日大社に祀ったのです。了

カテゴリー: サロンの話題 タグ: , , , パーマリンク