「室町アンダーワールド」 2025年8月18日 吉澤有介

垣根涼介、呉座勇一、早島大祐、家永遵嗣共著、宝島社新書、2025年2月刊 著者の垣根さんは、1966年生まれ、筑波大学卒で、歴史作家として数々の文学賞を受賞。近著の「室町無頼」がベストセラーになりました。呉座さんは、1980年生まれの歴史学者。東京大学大学院で博士(文学)。近著の「応仁の乱」(中公新書)が大きな話題になりました。早島さんは、1971年生まれ京都大学大学院で博士(文学)。関西学院大学教授で、著書に「足軽の誕生 室町時代の光と影」などがあります。家永さんは、1957年生まれ、東京大学大学院で博士(文学)、中世が専門で、現在は学習院大学教授。本書は垣根さんを中心に、気鋭の専門家が室町を縦横に語っています。
今、室町時代や応仁の乱に注目が集まっています。呉座さんの「応仁の乱」がそのきっかけでしたが、同時期に垣根さんの「室町無頼」が出て、混沌とした時代がさらに脚光を浴びることになりました。応仁の乱は、室町八代将軍足利義政の弟義視と、後に生まれた嫡男義尚の後継者を巡る争いに、細川勝元、山名宗全ら大名の主導権争いが重なって、応仁元年(1467)ついに東西に分かれた大乱になったといいます。
しかし、近年の歴史学界では、応仁の乱の本質は、本当に単なる権力争いだったのかという疑問が提起されていました。この時代は、慢性的な飢餓状態にあったのに、幕府は無為無策で、多数の飢えた民衆が放置されていました。彼らは京都に押し寄せ、手段を択ばずある者は悪党・盗賊となり、あるいは足軽(雑兵)となって戦場で稼ぐようになりました。ただそのような下層階級の史料はごく僅かです。歴史家には、貴族、僧侶などの記述した史料が中心となるので、呉座さんたちも、底辺の人々までは踏み込めません。そこを乗り越えたのが、作家の垣根さんの想像力でした。
治安の悪化した京都では、応仁の乱の直前に、大規模な寛正の「土一揆」が起きていました。乏しい史料によると、一揆の首謀者は、はぐれ者の蓮田兵衛、一方、幕府方では市中警護役の骨皮道賢が、取り締まりを担いましたが、道賢は配下に食い詰めた足軽を組織していました。そこで作家は、この二人が知り合いだったとみました。どうやら裏取引していた可能性が高いのです。彼らは生き生きと活躍していました。
当時の京都は、今の東京に似ていました。政治経済と文化、人口が一極集中しています。地方は疲弊し、都に流れても働き口がないのに、富裕層は極めて豪華でした。宇治の茶や美濃の紙のような、ブランド的な特産品がおカネになる。食べ物をつくるよりも割が良い。そのため、いざ凶作になると飢饉になりました。それらの矛盾がたまって応仁の乱に至ったのです。既存のシステムが明らかに崩れていたのに、明確な国家目標がありません。足軽たちは闇バイトをしていました。貨幣経済なのにマニュアルがない。対立軸も曖昧だったので、大名たちは、領国を気にしながら相手の出方を眺め、睨み合っているだけでした。現代の世界情勢に、よく似ていたのです。「了」

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