「昆虫の哲学」 2025年1月10日 吉澤有介

ジャン・マルク・ドルーアン著、辻由美訳、みすず書房、2016年5月刊  著者は1948年、フランス生まれの科学史家。国立自然史博物館で、人間・自然・社会部門のメンバーを経て、科学史・科学哲学の教授に就任。著書に「エコロジーとその歴史」、「哲学者の植物標本」などがあり、本書で「モロン・グランプリ」を受賞しました
本書では、昆虫を巡って展開された、あらゆる論争について考察しています。
昆虫とは何か。この論争は古代ギリシャ以来続いています。昆虫(insecte)の語源は、ラテン語の「くびれ」からきていましたが、18世紀には、「くびれ」がなくとも、大きくても良いとして、ワニまでが昆虫とされたこともあり、フランス革命の最中のパリでは、昆虫論争が盛んでした。範囲は次第に狭められ、ついに、外骨格に守られ、頭、胸、腹があり、三対の脚、二対の翅(消失も含む)、一対の触覚を持つものだけとなったのです。
昆虫の一番の特徴は、小さいことです。アリの巣が人間の規模だったら万里長城の建設に匹敵し、ヒトノミがヒトのサイズなら300mの距離を跳んでいます。しかし、動物の体重は、その体長の三乗に比例し、筋力は、体長の二乗に比例します。アリは自分より10倍重い麦粒を運びますが、仮に体長が10倍になったら、自分の体重より百分の一しか運べません。この「スケール効果」は重要でした。動物や植物、その他あらゆるものには「適切な大きさ」があるのです。絶対的大きさは、古代ギリシャ以来の哲学の問題でした。
昆虫学には、プロの学者のほかに、さまざまなレベルのアマチュアや独学者がいて、膨大な数の昆虫を収集し、命名し、分類に貢献してきました。文学においても、作家たちは昆虫学者の視点を持っていました。プルーストの「失われた時を求めて」はその好例で、日本でも、歌麿の「両本虫撰」や、安部公房の「砂の女」に精確な記述がありました。
昆虫の個体の本能と集団的知能は、昆虫の社会という哲学的概念の対象となりました。マルクスは「資本論」で、人間の労働を定義するために、ミツバチなどの活動と対比させました。また、ミツバチの巣房は六角形で、同じ体積の壁の蜜蠟を最も節約します。これは生物学史や数学史にもかかわり、目的に向かって、最良、最短時間、最短距離をとる純粋に力学的なものでした。「種の起源」でダーウィンは、本能の定義には慎重でしたが、本能は種に固有という性格があります。多細胞の生物の個々の細胞が、その個体の統一性をなしているように、種の個々の成員の本能が、その社会の統一性を担っていたのです。
ここで超個体という概念が生まれます。個々の生体の初歩的な反応から、集団的行動が生まれる様子を探るために、アリを小さなロボットにした、モデル実験が行われました。バーチャル・アリのシミレーションで、経路設定、分配、物流の「アリの群の最適化」問題が検討されました。上下関係のない統制として、昆虫学が情報科学に寄与したのです。
擬態と保護色は、類縁関係の全くない種の間にひろがり、獲得形質の遺伝は「進化論」を支えました。昆虫は肉眼で見える最小の生き物です。私たちの身近にいて、独自の世界と環境に棲んで、科学的研究や芸術的創造や哲学的思考へと誘っているのです。「了」

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