「個性幻想」—教育的価値の歴史社会学—2025年1月8日 吉澤有介

河野誠哉著、筑摩書房、2024年11月刊  著者は1969年、宮崎県生まれ、東京大学大学院教育学研究科で博士。山梨学院大学経営学部教授を経て、現在は、東京女子大学現代教養学部教授。専門は教育社会学、歴史社会学。著書に「近代教育の社会理論」共著(勁草書房)や、多くの論文があります。
今日、「個性」という言葉は、ある種の教育的価値と深く結びついてすっかり定着し、さらに社会的価値として広く世間に浸透しています。しかし、現実にそれはどのように扱われてきたのでしょうか。言葉としては「個性の尊重」や、「個性を伸ばす」などが、常套句としてよく出てきますが、その具体的な中身は曖昧のままでした。「個性」と言えば、それだけで何か価値があるようにとられ、さまざまな場面で人々を幻惑してきたのです。
日本社会では、1910~20年代と、1980~90年代の二度にわたって、「個性ブーム」が起きました。本書はその社会現象を、鳥の眼のように俯瞰して捉えています。最初のブームは、大正新教育の流れでした。明治以来の、教師、教科書を中心とした形式的な一斉教育に対して、児童中心の自発的な学びを重視する動きが出てきたのです。澤柳政太郎の「成城小学校」、羽仁もと子の「自由学園」、西村伊作の「文化学院」などが創立され、機械的な暗記主義に対して「個性の尊重」が叫ばれました。当時、急速に勃興していた新中間層の支持を集めましたが、文部省はこれを個々人の「個性調査表」→「進路指導」、「職業指導」にすり替えて新教育の弾圧に向かい、「個性」の言葉は、急速に退潮してゆきました。
二度目のブームのきっかけは、黒柳徹子さんの「窓際のトットちゃん」(講談社1981年)でした。戦前の自由が丘にあったトモエ学園は、校長は小林宗作、廃棄された電車を校舎とした、生徒数50人ほどの私立小学校です。「好きな学科からやって良い」という、徹底した「個性尊重」の自学主義に、人々は魅了されました。当時の全国の中高の学校では、校内暴力の嵐が吹き荒れていました。トモエ学園は、まさにユートピアとして、「個性尊重」を切望する感性を刺激し、閉塞した学校教育に、大きなショックを与えたのです。
学校教育の硬直化、画一化が、現場荒廃の要因とする議論が巻き起こり、中曽根内閣の臨教審は「教育の自由化」を唱えました。ここで「個性尊重」が再登場して、社会的な「個性重視の原則」に進みました。「個性」は魔法の呪文となったのです。しかし、「個性尊重」は、本来の一人ひとりの個性の違いに配慮することでしたが、「個性重視」では、「個性そのもの」を追究すべき価値としたので、そこには本質的な違いがありました。
時代はまさに消費社会のただ中にありました。「個性」が氾濫し、「個性」を追求することが、若者たちには強迫観念へと転化してゆく、病理的な症状が生まれたのです。SMAPは、「世界に一つだけの花」で、ひたすら自分らしさを追いましたが、平均的な人々を軽視して、尖った人間を賞賛する、過剰な「個性化」路線へと傾斜してゆきました。学校の「いじめ」もその一つで、登校拒否や引きこもりが社会問題になりました。これは日本社会が、ある種の到達点を迎えた、反作用だったのです。「個性」の幻想は、格差を助長して、かえって窮屈にもなりかねません。社会的副作用には、用心が必要なのです。「了」

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