「怪異の政治社会学」-室町人の思考をさぐる-2024年月22日 吉澤有介

高谷知佳著、講談社メチエ2016年6月刊  著者は、1980年奈良県生まれ、京都大学法学部卒、現在は京都大学大学院法学研究科准教授です、専攻は法制史。都市法をほとんど持たない日本中世都市に関心があり、著書に「中世の法秩序と都市社会」(塙書房)、「法の流通」(共編著、慈学社)があります。
日本の古代・中世では、「怪異」とは、基本的に神仏や怨霊が示す「これから起きる凶事の前兆」を意味していました。「怪異」の発信元は、主に寺社でした。具体的には、神仏からのお告げや、寺社の奥まったご神体が鳴動したり、風もないのに鳥居が倒壊することなどです。それに対して、朝廷では卜占を行って、怪異の意味を問い、もし凶事の前兆であれば、祈祷や奉幣を行いました。伊勢神宮や春日社、石清水八幡宮など、政権に近い神社などが、その主な対象でしたが、宮中内侍所の八咫鏡も、しばしば鳴動しました。
八世紀に入ると、神祇と仏教は習合して、神は人格を持つようになります。朝廷は、非業の死を遂げた人間が祟る「怨霊」も神に祀り、社会もまた御霊会で鎮めました。祀られた人物は、早良親王、伊予親王、橘逸勢らで、のちに菅原道真らが加わりました。
これらの神は、さまざまな「怪異」を起こしました。寺社はそれを警告し、朝廷が祈祷して、社会の凶事を未然に防ぐという、寺社、朝廷、社会、それぞれにメリットがある「怪異」のメカニズムが成立し、その後も、時々の政権が利用することになりました。
中世には、「神仏が国家を守る」という大前提がありました。そこで寺社は、国家における位置づけを確保するために、政権や社会に対して、数々の霊験をアピールしました。その具体例として、藤原鎌足を祀った多武峰の、鎌足の木造がたびたび破裂した(音を立ててヒビが入った)といいます。藤原氏だけでなく国家全体までも、凶事が起きる前兆とされ、摂関家は祈祷を行いました。1344年から1511年までに⒓回の記録があります。
室町幕府六代将軍足利義教が、赤松満祐に暗殺され、9才で七代将軍となった義勝も間もなく病死して、将軍が空位となった嘉吉三年(1443)9月、「禁闕の変」が起きました。旧南朝勢力によって、内裏から三種の神器が奪われた大事件です。その直前、若狭の神社の竈が連日吠えたといいます。同時に鎌足の木造も破裂したのです。伏見宮貞成親王の日記にあり、伊勢神宮に奉幣しました。当時の日記には、歴史書の役割がありました。
室町時代の京都は、日本史上、特に怪異の溢れた都でした。疫病や災害があれば、怨霊の仕業であり、政変の予兆であるとの風聞が広がりました。従来のように政権中枢が寺社に奉幣して鎮めることでは収まらず、風聞が社会の不安を一そう増大させたのです。
室町期の社会が、怪異に怯える凶事は戦乱で、その怪異の多くは天狗でした。朝廷・幕府・寺社が、京都に一極集中した時代でしたが、幕府には、「裁判」、「行政」、「財政」といった国家の根幹となる機能が、はっきりしませんでした。人的ネットワークに頼ったので、伝聞情報として怪異が連鎖し、都市の危うさが生まれたのです。クーデターを起こした細川政元は、秘かに天狗と通じていたとして、天狗の菅領と呼ばれていました。私たちの現代でも、説明しきれない思考の片鱗が、どこかに残っているのかも知れません。「了」

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