「古代ギリシャの日常生活」—生活文化から食生活、医療、軍事治安まで—2024年8月17日 吉澤有介

ロバート・ガーランド著、田口未和訳、原書房、2013年11月刊  著者は、コルゲート大学古典学教授。ユミバーシテイ・カレッジ・ロンドンで博士。プリンストン高等研究所客員研究員他を歴任しました。ギリシャ・ローマの歴史家として、「セレブとギリシャ人」、「ギリシャ悲劇からの生還」など多数の著書があります。
 本書は、伝統的な歴史書ではなく、読者を突然、紀元前420年のギリシャのアテナイに案内して、在留外国人として見た、古典ギリシャの人々の生活の実態です。この時代は、アテナイがペルシャの侵略と戦って勝利したマラトンの戦いから、マケドニアのアレクサンドロス大王が死去するまでの古典期に当たり、アテナイは繁栄の頂点にありました。
多くの天才を輩出して、文学、芸術、歴史、建築、哲学、科学分野で、西洋文明に大きく貢献しています。ペルシャ軍は撤退し、アテナイはエーゲ海の盟主となりましたが、間もなく都市国家としての存亡をかけて、スパルタとの戦いに突入し、敗れて降伏します。全面的な破壊は免れたため、素早く復興はしましたが、これは大きな転換期でした。
 スパルタ人はアテナイ人と正反対でした。アテナイ人は革新的で外向的、進取の気風で国際的。スパルタ人は内向的で保守的、冒険心はなく、外国人を信用しません。変化を拒み、時代に適応できず、次第に衰退してゆきます。一方のアテナイは、リスクを問わない冒険心で、その後一気に凋落しました。お互いを学ばない姿勢は、残念なことでした。
 アテナイは、城壁に囲まれた都市で、長い回廊で港湾の古代最大の貿易港ピレウスにつながっていました。アテナイ人は、公共建造物に大きな誇りを持ち、アクロポリスの丘にあるパルテノン神殿はとくに壮大でした。しかし、個人の住まいはみな質素でした。街の中心には、アゴラという広場を建物が囲み、市政、司法、商業の中核で、18才以上の男子だけが入りました。トラベザという両替商のテーブルは、銀行の語源になっています。
 市民団は、3~5万人の自由民男性で構成され、市民は両親とも自由民でなければならず、デモスと呼ばれました。政府も首相もいない直接民主制で、重要な決定は、すべてが住民投票で決まります。すべての市民は輪番で兵役につきました。甲冑を買える者は重装歩兵になり、買えない者は軍船の漕ぎ手になりました。ほとんどの市民は、数人の奴隷を所有しています。生来の奴隷は鉱山や家内の肉体労働につき、戦争の捕虜などの知識ある奴隷は、船長や職人、会計士や銀行家などの外仕事や、市民の家政などに従事しました。
古代ギリシャには、仕事を意味する単語がありません。余暇こそが日常なのです。しかし怠けているわけではなく、公式、非公式に市民としての役割を果たしていました。
古代ギリシャは、徹底した家父長制社会で、女性の地位は低く、行動の自由は限られ、財産は持てない。子育てはまかされていますが、謙虚でなければなりません。子供を教育する奴隷もいました。女性の職業は、織物のほか、稀に神々に仕える巫女がありました。
古代ギリシャ人は1日2食で、粗食でした。寿命は40才台、信仰は多神教で、英雄崇拝も重なります。古代人へのインタビューでは、厳しい現実が語られていました。「了」

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