「声と文字の人類学」  2024年5月10日 吉澤有介

山口 顕著、NHK出版、2024年3月刊  著者は1957年、島根県生まれ、筑波大学比較文化学類卒、東京都立大学大学院社会科学研究科で博士(文学)。島根大学法文学部教授、副学長、現在は名誉教授。専門は文化人類学で、著書には「名前のアルケオロジー」(紀伊國屋書店)など多数があります。
文字の登場は今から5,6千年前といわれています。しかし、およそ7百万年という人類の歴史には、文字の歴史よりはるかに長い、文字のない時代がありました。つい最近でも、アフリカや南米の先住民社会の多くは、自分たちの固有の文字を持っていませんでした。では彼らは、どのように伝達や伝承をしてきたのでしょうか。そして、彼らに文字が伝わったとき、神話や昔話の世界がどのように変わったのでしょうか。
私たちは今、ごくあたりまえに文字を読み書きしていますが、著者は、文字の効用とは何か、文字は人間の認識を変え、論理的思考に寄与したことを、深く検討しています。
音声である言葉は、すぐに消えてなくなります。しかし、文字という記号で記せば、物質として残ります。音声の記憶だけに頼る議論は、文字によって人々の目の前で展開され、知識の蓄積も併せて論議されるようになりました。口承性に対する書承性です。
古代メソポタミヤで楔形文字が生まれました。最初の絵文字はBC3千年ころで、シュメール人が表音化して発展させました。なお絵文字の表意文字の機能は残していました。
文字の出現は、人類の生存の在り方に深い変化をもたらしました。都市と帝国の形成にも及びます。文字は権力の行使に必須でした。声を抑圧したのです。印刷技術の進歩で活版印刷された書物は、人々の思考を規定しました。画一的な国民生活や中央集権国家を生み、ナショナリズムと同時に、反政府も含む個人主義を生み出すことにもなったのです。
一方、民衆や職人階級は、読み書き能力が浸透するにつれて、口承文化から新しい読み物や出版物を出現させました。文字がまた新たな声を生み出したのです。柳田国男は、「口承文芸」を「耳の文芸、あるいは口の文芸」と呼び、「文字で書かれた文芸」を「眼の文学あるいは筆の文学」と呼びました。目と耳には深い連続性がありました。そして耳で聞くことを目的とした眼の文学が生まれていました。その代表が「平家物語」です。
「徒然草」には、「平家物語」の成り立ちが述べられています。作者を信濃前司行長としています。しかし柳田は、「平家物語」の成立以前に、その元になった物語を語り伝えた様々な担い手がいたとみています。それぞれの物語が、各地に伝説や遺跡として存在していたからです。編集・再構成された平家の物語は、再び琵琶法師によって語り継がれてゆきました。文字で書かれた「平家物語」には、様々な本があります。「平家」を語るには、まず「平家」を知らなければなりません。「平家」の身になって語れば、語り手の内部に「平家」が憑依して、「平家物語」の世界が出現するのです。琵琶の名手であった盲目の芳一が、夜ごとに平家の亡霊に取り付かれたので、和尚が芳一の身体に御経の文字を書き記したという「耳なし芳一」の話もありました。現代は、スマホなどの「打ち言葉」が氾濫していますが、著者は、自覚して手を動かす「手書き」を強く勧めていました。「了」

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