半藤一利著、文春新書、2021年2月刊 著者は、1930年東京生まれ、東京大学文学部卒。文芸春秋に入社、編集長、専務を経て作家になりました。私と同世代です。昭和史研究の第一人者で、多くの著書があります。(夫人は夏目漱石の孫娘)本原稿がゲラになった時に死去しました。これは絶筆です。
著者は、世界最高の史書を、いつも司馬遷の「史記」と答えてきました。古今の書に通じ、歴史のよもやま話、新社員時代の思い出に、読書の楽しさまで存分に語っています
戦争が必至の情勢となった昭和16年11月19日、日本の外務省は在外公館宛てに、万一に備えて「風のたより」という暗号を知らせました。①東の風、雨→アメリカとの危機、②西の風、晴れ→イギリスとの危機、③北の風、曇り→ソ連との危機。この暗号は、短波放送で必ず2回繰り返し、この放送があれば、すべての暗号書や機器を処分せよ、との指示がありました。そして⒓月4日、数回にわたり「東の風、雨」の放送がありました。ハワイに向かった機動部隊に「ニイタカヤマノボレ」が発信される2日前のことです。そして8日4時前に「西の風、晴れ」が放送されましたが、これはすでにマレーシアでドンパチが始まったあとでした。どちらもチグハグで、何ともお粗末な対応でした。
「河童忌の庭石暗き雨夜かな」は、内田百閒の句で、7月24日が芥川龍之介の自殺した日です。夫人に宛てたラブレターに「ワタクシハアナタヲ愛シテ居リマス—小鳥ノヤウニ幸福デス」とありました。それなのになぜ自殺したのか。いまだによくわかりません。「芥川」とは汚らしい苗字だと思っていましたが、古い中国の文献に「芥は辛菜なり」とありました。また大阪府高槻市に「芥川」という清流もありました。「伊勢物語」に、男が恋人を連れ出して、芥川の畔の倉まで逃げ、一晩中武器を持って見張っていたのに、鬼に恋人を喰われてしまいます。残酷な話ですが、いかにも芥川の小説そのものでした。
夏目漱石の「吾輩は猫である」に、「主人は平気で細君の尻の処に頬杖を突き」とあります。妻を「細君」と呼んでいますが、いまは死語になっているようです。ところがその出所は、紀元前二世紀の司馬遷の「史記」にありました。死語にしてしまうのは惜しい。
西行法師は、「願はくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ」と詠んで、その通りに大往生したといいます。しかし如月は旧暦の二月ですから、太陽暦の3月15日で、桜の季節には早すぎるでしょう。しかし調べてみたら、西行が詠んだ前年の文治5(1189)年は、4月が二度あり、閏4月のために翌年は例年より1か月遅れていたと知りました。
春はうららかです。向島生まれの著者が、神戸の居酒屋で「春のうららの隅田川~」を歌ったら、作家の田辺聖子さんが、その歌のもとは源氏物語にあると教えてくれました。確かに「胡蝶の巻」の六条院の宴に、女房のひとりが「春の日のうららにさして行く舟は棹のしづくも花ぞ散りける」と詠んでいました。「花」には古典の隠し味があったのです。
著者は文春の新人のころ、初出張で桐生の坂口安吾の原稿を貰いにゆきました。ところが安吾は約束の原稿をまだ書いてない。三千代夫人が泊まって待ちなさいというので、結局一週間、酒の相手をしながら安吾の高説を聴きました。楽しい思い出でした。「了」
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