「植物誌」   2023年11月3日 吉澤有介

佐藤達夫著、河出文庫、2023年9月刊  著者は、1904年福岡県に生まれ、熊本の五高を経て東京帝国大学法学部を卒業しました。内務省に入り、法制局に移って、戦後の日本国憲法の起草に携わりました。法制局長官、人事院総裁となり、74年、惜しくも在職中に逝去しました。著書には、「日本国憲法成立史」などがありますが、植物研究家としても著名で、多くの随筆があり、本書は日本エッセイスト・クラブ賞を受賞しています。牧野富太郎博士とも深い交流があって、昭和天皇の植物調査にもお供しました。植物画を良くし、短歌を北原白秋に師事しています。
本書は、多忙の公務の傍らで、草花102種を絵と文で綴った、名著の待望の復刊です。

このような多彩な活動のきっかけは、郷里の県立中学明善校(旧制)の夏休みの宿題に、押し葉標本を提出したところ、博物の松田先生に褒められたことからだそうです。後に牧野富太郎博士の指導を受け、植物採集に同行しました。高級官僚になってからも、地域を決めてその地に生えるすべての植物を記載して目録をつくる、いわゆる悉皆調査をしています。
東京都では、青梅市と飯能市にまたがる加治丘陵や、多摩丘陵に通いました。とくに童謡「夕焼け小焼け」で知られる恩方村(現在八王子市の恩方町)では、秋晴れの一日、尾根の草原に腰をおろしていると、草むらに紅紫色の花をつけた見慣れないキク科の植物を見つけました。採集して京都大学の専門家に送ったら新種とわかり、Saussurea Satouwiの学名で発表し、オンガタヒゴタイという和名をつけています。その後、恩方村はキダ・ミノルの「気違い部落周遊紀行」で有名になりましたが、十数年の間、休日ごとに草木を求めて山野をさまよった著者自身が、まさにそのモデルのようであったと回想しています。
植物画については、戦後まもなく古本屋で見つけた、ヤマハの川上嘉一社長の自筆の植物図譜に刺激されて始めたもので、個性的なボタニカルアートを目指しました。その繊細なスケッチは本書を覗いて頂くとして、ここでは珠玉の文のいくつかを取り上げてみましょう。
「ほたるぶくろ」キキョウ科の野草で、丘の道に草いきれを感じる季節になると、この花の季節がやってきます。牧歌的な名前が素敵です。つり鐘型の花の内側は濃い紫の点々で、外側よりはよほど派手なのに、花がみな下を向いているので誰も気が付きません。せっかくの意匠ですが、これは蛍たちのための室内装飾ということなのでしょう。
「われもこう」吾亦紅と書かれることもある。細い茎の先にえび茶色の小さな花をつけて、いかにも秋らしい渋さです。黄色のアキノキリンソウや、白いシラヤマギクに囲まれて風に揺れています。生まれつき淋しがり屋なので、いつもそんな仲間といっしょにいるのです。
「かやつりぐさ」田んぼのあぜ道などによく見かける雑草ですが、秋草らしい風情で。能衣装の図柄にもあり、岸田劉生も描いていました。子どもが蚊帳に見立てて遊んだそうですが、自分はよく知りません。たぶん小さいときに女の子と遊んだことがないせいでしょう。
本書の上梓は、その後の多くの植物についての随筆や画文集出版の契機になりました。それらの著作は、今なお読者を魅了してやみません。このたびの復刊は嬉しい限りでした。「了」

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