岩本裕之著、裳華房、2019年7月刊 著者は、1955年大阪生まれ、東京大学大学院理学系研究科で理学博士。専門はX線解析学、生物物理学、動物学です。現在は神戸大学大学院自然科学研究科客員教授を兼任しながら、兵庫県にある共同利用の大型放射光実験施設(スプリングエイト)に勤務し、強力なX線を使って筋肉その他の生態組織の構造を研究しています。
昆虫は、地球上で最も繁栄している動物群です。個々の昆虫は、小さくてか弱く、トリなどの捕食者も多いのに、様々な高い能力を発揮して繁栄してきました。その多くは抜群な「飛ぶ能力」を持っています。節足動物の昆虫には、そのための特異な筋肉があるのです。
人間も含めて、すべての動物は動くための筋肉を持ち、その筋肉のつくりも働きも基本的には同じです。人間の筋肉で運動を担うのは骨格筋で、顕微鏡でみると等間隔の横縞がある横紋筋です。そこには骨格筋→筋細胞→筋原繊維という階層構造があります。最小単位はサルコメアと呼ばれ、収縮機能を持っています。昆虫の筋肉も、すべてこの横紋筋で、サルコメアの構造も収縮弛緩の仕組みも、脊椎動物によく似ていました。
昆虫の身体は、頭部、胸部、腹部の三つの体節に分かれ、胸部はさらに前胸、中胸、後胸に分かれて、それぞれに一対の脚が生えています。翅はあとの二つに一対ずつ生えています。こうして胸の体節に脚が6本、翅が4枚という昆虫の特徴が出来上がるのです。
翅を動かすのが「飛翔筋」です。最も原始的なトンボ類は、翅を直接駆動する「直接飛翔筋」でゆっくりと羽ばたきますが、他の大部分の昆虫では、翅を直接動かすのではなく、「間接飛翔筋」を使って胸部の外骨格を変形させて、その振動で素早く羽ばたいています。
「間接飛翔筋」には背縦走筋(DLM)と背腹筋(DVM)の二種の拮抗筋があって、自律的に交互に収縮して振動を起こします。しかし、収縮~弛緩サイクルには上限がありました。収縮が終わるたびにカルシュウムポンプを使って、筋細胞内のカルシュウムを筋小胞体に汲み戻す必要があり、ここで多量のエネルギー(ATP)を消費するからです。これを同期型といい、比較的原始的なバッタ、チョウなどで、100ヘルツ程度の速さで羽ばたいています。
ところが昆虫はさらに進化しました。一回ごとのカルシュウムの出し入れをやめ、神経インパルスと無関係に拮抗筋を働かせる、非同期型飛翔筋をつくり出したのです。上限がなくなり、1000ヘルツも可能になりました。小型で軽いハチ、カ、ハエ、アブなどで、カブトムシもこの仲間です。これらの筋肉の動きは、世界で最も重要な研究テーマになっています。
著者は、非同期型飛翔筋をX線解析法で調べました。タンパク質の並び方が結晶のように規則的なことがわかりました。スプリングエイトの実験設備で、マルハナバチの一本の筋原繊維にX線μビームを当て、羽ばたいているマルハナバチの飛翔筋のX線解析像を、毎秒5000コマの速さで撮影したのです。素晴らしく鮮明な写真が紹介されていました。
昆虫の筋肉は鳴くためにも使われています。秋の虫はみな羽の一部にあるヤスリ状の部分をこすり合わせます。しかしセミは違いました。オスの腹部が空洞の共鳴箱で、左右にある硬い板を特別の筋肉で振動させています。昆虫は、ヒトをはるかに超えていました。「了」
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