「乱曲考」 2026年1月2日 吉澤有介

小倉正久著、檜書店、2011年3月刊  著者は、1931年新潟県生まれ、東京大学医学部卒、同助教授。のちに外科医として開業。医学博士。宝生流師範。「千手」、「葛城」、「景清」、「竹生島」、「松風」、「加茂」、「太原御幸」、「乱」などを演能。著書に「謡曲紀行」(白龍社)があります。
乱曲とは能楽用語で、各種ある謡のうち、世阿弥が至高のものと位置づけ、大切に代々伝わってきた謡曲です。明治・大正期の人々にとって、謡はごく一般的な趣味であり教養でもありました。しかしその謡本の文体は古いくずし文字で、現代では読み解くことが殆ど難しくなっています。著者は独学で、その謡曲の文字を読み解き、現在謡われる48曲のすべてを翻刻・解説しました。能作者の時代精神を読み取り、古跡や伝説を訪ねて、謡曲特有の快いリズムを感じながらの完成でした。本稿は、雑誌「宝生」に連載したものを加筆・修正しています。その一端をあげてみましょう。
・「阿古屋松(あこやのまつ)」 世阿弥元清作、陸奥守に任じられた藤原実方は、陸奥塩竈で一人の老人と出会いました。一条天皇から命じられていた歌枕「阿古屋松」の所在を尋ねると、老人は出羽国にあるといい、気高い塩竈明神の姿を現して、松のめでたさを説き舞います。その原型は、鎌足の曽孫の娘阿古屋姫が、父とともに奥州に流され、その地で松の精である若者に恋して、松の根方に埋葬されたという伝説によるものでした。塩竈明神が、松の翠の美しさを称えて舞う名曲になっています。
・「西国下り」 淋阿弥作詞、観阿弥作曲、現存の謡物の中で最も古い。西行法師が西国行脚を思い立ち、須磨に至ると平家の縁者という僧が現れ、ともに平家を弔う旅をと申し出ます。僧は宗盛の亡霊でした。平家が主上を擁して西国に落ち延びた様子を、西行に詳しく語ります。文学的香気があり、後世に大きな影響を与えました。
・「玉嶋(たましま)」 別名「鮎」とも呼ぶ、かなり古い作品です。作者は外山。観世以前に多武峰などに奉仕した大和猿楽外山座の太夫でした。神功皇后が、三韓征伐の出発の際に、筑紫の玉島川で鮎を釣り、戦いの吉凶を占ったという、古事記にある故事に依っています。「川の魚よ、もし事が成るなら釣り針を食べ、我に利なくば呑むなかれ」と竿を上げると鮎がかかっていたので、皇后は出兵したとあります。「史記」に周の武王によく似た故事があり、宝生流で「玉嶋」として謡われています。
・「二人静」 作者は世阿弥か。神事に仕える吉野の菜摘女に、静御前の霊魂が乗り移り、静御前の舞衣を付けて舞っていると、本物の静御前の霊が同じ装束で現れ、義経が吉野を落ちのびた様子や、その後、頼朝の前で「しずやしず」と舞ったことなどを語って、二人で序の舞を舞います。一つの人格を二人で舞う至難の曲でした。
現在謡われている乱曲の元となった完曲の多くは、廃曲になったり、能まで至らないままになっています。著者は、その源流を探り、日本全国、中国、モンゴルまで訪れました。明朝体に翻刻した本書は、古典の香りに満ち溢れていました。「了」

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