完本「マタギ」—矛盾なき労働と食文化—2025年11月21日 吉澤有介

田中康弘著、ヤマケイ文庫、2021年5月刊  著者は1959年長崎県佐世保市生まれ、島根大学農学部林学科卒、日本写真学園で学び、フリーカメラマンとなりました。主な著書に「山怪」シリーズ(山と渓谷社)、「シカ・イノシシ利用大全」(農文協)、「ニッポンの肉食」(筑摩書房)などの多数があります。うち「山怪」はすでに要約して、皆さんにご紹介しました。
マタギは非常に特殊な狩猟集団です。マタギの集落は、北東北から長野県北部の山深い山間部などの、ごく限られた地域にしかありません、著者は1992年の10月、初めてマタギの里として知られていた秋田県の阿仁町を訪れました。たまたま町で鍛冶屋をしていた老マタギ西根氏の知遇を得て教えを乞い、一般には危険で許されないマタギの猟に同行させてもらうようになりました。これは実に稀有な体験でした。
初めて見せてもらったのは、仕留めた熊の、「けばかい」という解体作業でした。体重100キロを超える大物です。まずは祈ることでした。熊の魂を鎮め、この熊を授けてくれた山の神に感謝します。仰向けの熊の頭を北に向け、御神酒をかけて塩を盛り、「あぶらうんけんそわか」と呪文を唱えて祈りました。ここではじめてナガサ(マタギの山刀)を入れます。喉元から胸にかけて、四肢の内側にも切り込みを入れ、丁寧に毛皮を剥がし、脂をこそぎ落します。熊の脂は立派な薬になりました。腹を裂いて内臓を取り出します。胆のうは特に貴重でした。血液も商品になります。最後に30キロほどの肉を、仲間に「マタギ勘定」として均等に分けるのです。その熊料理は、味噌、醤油、砂糖だけの素朴なものでしたが、臭みはなく素晴らしい美味でした。
著者は、何年も阿仁町に通って、マタギとともにウサギを追い、マイタケを採りましたが、本物の熊猟にはなかなか入れませんでした。ある年の11月、師匠の弟の弘二さんからお誘いが来ました。ブナが豊作で、山に4~5頭いるといいます。マタギ仲間の上田さんも一緒です。春熊猟は大勢の巻き狩りですが、秋熊猟は個人猟なのです。
早くも山の稜線に熊を見つけました。二人のマタギは入念に打ち合わせ、ブッパの上田さんと、雪の残る急斜面を音がしないように登ってゆきます。10時ころに突然、著者の目に黒い影が見えました。しかしブッパは気づいていません。必死の手真似で知らせると、もう熊は間近でした。ブッパが見事な早業で発砲すると、熊は下の滝壺に落ちてゆきました。大物で130キロはありました。水からは何とか引き揚げましたが、とても車までは運べません。マタギたちは現場で解体しました。儀式を済ませて2時間ほどの「けばかい」でした。著者は完全にバテていましたが、60才前後のマタギたちは凄い働きで、すべてを車に運び入れ、家に戻ったのは午後6時過ぎでした。
マタギの起源は明らかではありませんが、縄文人の末裔という説が有力です。もともとマタギは、山の民であり商人でもありました。しかし現代では、若者の姿はなく、集落そのものが消えようとしています。本書は貴重なルポになっていました。了

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