「滅亡するかもしれない人類のための倫理学」—長期主義・トランスヒューマン・宇宙進出—2025年11月⒓日 吉澤有介

稲葉振一郎著、講談社選書メチエ、2025年9月刊 著者は1963年、東京都生まれ、一橋大学社会学部卒、東京大学大学院経済学研究科で博士。現在は明治学院大学社会学部教授。専門は社会倫理学です。著書に、「AI時代の労働の哲学」、「AI時代の資本主義の哲学」(ともに講談社選書メチエ)、「経済学という教養」(ちくま文庫)、「社会倫理学講義」(有斐閣アルマ)などがあります。
宮崎駿の「風の谷のナウシカ」では、最終戦争がありうるのかを問い、時代精神の表現として歴史的価値を示しました。人類の長期的未来の可能性を考える倫理学は、長期主義と呼ばれています。従来の環境倫理学では、「有限な地球環境の下で、人類はいかにやりくりしてゆくか」が議論されましたが、長期主義では、人類が当面の危機を回避したあとを、主に議論します。百万年か1億年先を考えるのです。そのルーツは「最大多数の最大幸福」を求める「功利主義」にありました。誰もが苦痛を減らして快楽を求めるからです。その流れに貢献することが「善」であるとして、「効果的利他主義」が生まれました。しかし未来のための行いが、善いこととは限りません。先行世代の行いが、後継の未来世代に与える影響が、公平とは限らないからです。
存亡リスクには、破局噴火や天体衝突などの、非人為的なものや、核戦争やバイオテロ、超AIの暴走などの人為的な災厄がありますが、被害を補償する一般的な保険原理は適用できず、あくまで人類全体で備えるしかないのです。有効に対処するには、グローバルな連携が必要でしょう。しかし、その対処方法にもリスクがあります。そこで、現世代が「生きていることは良いことなのか」という問いに行き着くのです。
理論的に言えば、現世代の私たちは当然に圧倒的少数派で、それに対して仮に人類が絶滅せずに超長期にわたって存続するなら、彼ら未来の総人口は、圧倒的に多数派になるはずです。とすれば未来の繁栄のために、現世代が犠牲になるべきなのでしょうか。実際に環境保護などの未来志向の計画への支出が増えつつあります。目の前にいる困窮者を見捨てて、現実には存在しない未来の人々に備えることが、果たして道徳的に正当なのかが問われるのです。両者は対等なのでしょうか。そもそも、世代間正義論で公平を期する、期待値をみた割引率も、適用することはできないのです。
この数百年を乗り切れたら、人類はなおも存続するだろうという説はありますが、そのポストヒューマン時代は、産業革命以前の低成長になることでしょう。R・ドーキンズは50年前に、もし、現在の比率で人口増加が続けば、直立姿勢の人間が隙間なく並ぶ、人間カーペットが大陸を敷き詰めるに500年はかからないといいました。
では、絶滅しないために宇宙に出るのは、正しいことなのでしょうか。もし本格的宇宙進出が可能になったとしても、あえて進出しないという可能性もあります。「引きこもり文明」もあり得るのです。未来の地球人はヒトでないのかも知れません。「了」

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